日本一イヤー1年の在籍
2005年に東北は仙台の地に誕生した
楽天。戦力が整わなかった1年目は38勝97敗1分、勝率.281で最下位という、どん底からのスタートだった。ただ、それまでのプロ野球の歴史で優勝とは無縁の状態が長かった球団は少なくなかったが、1年目の成績から考えると、思いのほか歓喜は早く訪れたといえるのかもしれない。とはいえ、11年には東日本大震災が発生。それまでAクラス1度という楽天は、チーム初のリーグ優勝、そして日本一で、復興に進もうとしている東北に勇気を与える宿命を背負ったようにも見えた。そして迎えた2年後の13年、創設9年目のシーズンに、その瞬間は訪れる。
MVPに輝いたのはエースの
田中将大だった。シーズンで無傷の24連勝だったのだから、誰も異論はなかったはずだ。ただ、田中1人でリーグ優勝、そして日本一を果たせるはずがない。一方の打線で中核を担ったのはケーシー・マギーと
アンドリュー・ジョーンズの“MJ砲”。ともに来日1年目。まさにVの使者だった。
1年だけの在籍ながら、絶大なインパクトを残した助っ人は少なくないが、成績こそ目を見張るものではないものの、そんな選手の1人といえるのがマギーだろう。メジャー4球団を渡り歩き、13年に来日すると、いきなり全試合に出場。打率.292、28本塁打、93点という好成績で初のリーグ優勝、日本一に貢献した。
だが12月18日、家庭の事情もあり、マギーはマーリンズと契約。「東北のファンの皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。自分にとっては非常に難しい決断となりましたが、イーグルスで皆さまとともに日本一になった誇りをもって、今後もプレーしたいと思います」というコメントを残し、1年で退団することになる。こうした去り際もまた、マギーを日本一イヤーの打線を象徴する存在に昇華させたといえるかもしれない。
その後、帰国したマギーは、週刊ベースボールのインタビューで「アメリカで一番の楽天ファン」と語っている。そして楽天の日本一から4年後の17年に
巨人でNPBに復帰。助っ人としては異例の二番打者として野球巧者ぶりを発揮している。
写真=BBM