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愛すべき助っ人たち

巨人だけで100本塁打…2度の移籍を経て3チームを渡り歩いた“アジアの大砲”イ・スンヨプ【愛すべき助っ人たち】

 

日本159発、日韓626発


力強いスイングから本塁打を量産したイ・スンヨプ


 昭和の助っ人たちは、所属していた球団を離れれば、そのまま帰国する選手が多かった。複数チームを渡り歩くのは、見方を変えれば、かなりの結果を残した助っ人にだけ許された特権のようなものだったのかもしれない。助っ人の移籍が増えてきたのは時代が平成となってからだ。FA制度も始まって日本人の選手にとっても移籍はポジティブなものへと変化。多くの戦力から新天地として選ばれたチームは、やはり巨人が多かった。

 21世紀に入ってプロ野球ではロッテでプレーを始め、さらなる活躍を巨人で見せたのが韓国から来たイ・スンヨプだった。国際大会ではライバル韓国の主砲として日本の前に立ちはだかったスラッガー。韓国プロ野球で最多のシーズン56本塁打を残し、メジャー移籍を断念したことで、2004年にロッテへ入団した。1年目こそ14本塁打にとどまったものの、2年目は30本塁打を放ってロッテのリーグ優勝、日本一に貢献。そのオフに移籍したのが巨人だった。この移籍1年目の06年が、日本でのキャリアハイとなる。

 ロッテのラストイヤーは長打こそあれ安定感に欠ける印象もあったイ・スンヨプだったが、巨人1年目の打棒にスキはなかった。中日福留孝介が打率.351と独走して首位打者は遠かったものの、リーグ2位の打率.323をマーク。同じくリーグ2位の41本塁打と持ち前の長打力も大いに発揮して、108打点と大台に乗せた。堅実な一塁守備も魅力で、韓国の誇る大砲が日本のプロ野球にアジャスト、本領を発揮したシーズンだったといえるだろう。さらなる飛躍が期待されたが、翌07年は打率.274、30本塁打、74打点と、やや失速。その後は故障を繰り返したこともあり、思うように成績を伸ばせなかった。

 11年にオリックスへ移籍したが、これが日本でのラストイヤーになった。通算159本塁打だったが、このうち巨人では、ちょうど100本塁打。これは巨人の助っ人ではウォーレン・クロマティアレックス・ラミレスに続く歴代3位の数字だ。通算256打点も同じく3位。帰国してからは韓国プロ野球に復帰して、最終的には日韓通算626本塁打としている。

写真=BBM
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