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愛すべき助っ人たち

3チームで活躍したレオンだったが…「まだニッポンでやりたかった。不完全燃焼だネ」【愛すべき助っ人たち】

 

通算268本塁打、884打点、打率.308


ロッテ時代のリー兄弟[左がレロン、右がレオン]


 兄がプレーするロッテで来日し、そこから大洋、そしてヤクルトへ。すべてのチームで活躍しながら、すべて唐突な幕切れでチームを去った。レオン・リー。プロ野球にアジャストし、安定感と長打力、勝負強さを兼ね備え、無茶な金銭の要求をするようなトラブルもなく、ファンにも愛された助っ人だった。

 兄はレロン・リー。2023年シーズン終了時点で通算打率のトップに輝くヒットメーカーだ(4000打数以上)。すでにロッテにいた兄を通して誘われて、レオンは1978年に来日。兄弟だけに似た風貌だが、兄は左打者、弟は右打者で、兄弟そろって1年目から打棒を爆発させて、レオンも1年目から打率.316の安定感を発揮している。80年には首位打者の兄に続いてリーグ2位の打率.340。いずれもタイトルには届かなかったが、41本塁打、116打点は兄をしのぐものだった。この80年ほどではなかったとはいえ、その後も活躍を続けたレオンだったが、82年オフに突然の解雇。斉藤巧との交換トレードという形で移籍した新天地は、のちに「もっとも居心地がよかった」と振り返る大洋だった。

 大洋でもロッテから引き続き一塁を守り、クリーンアップに座って活躍。85年には近藤貞雄監督の内野“裏返しコンバート”で三塁を守って、打線では高木豊加藤博一屋鋪要の“スーパーカー・トリオ”に続く四番打者として打率.303、31本塁打、110打点と、打撃3部門すべてで大台を超える。だが、そのオフに解雇。このときはトレードではなく自由契約で、やや走者がいるときの打率を下げたとはいえ、これだけの数字を残し、トラブルのないままの自由契約というのも珍しい。

 ただ、3チーム目のヤクルトでも活躍は続いて、移籍1年目から打率.319、31本塁打の好成績。だが翌87年、夏場に故障で離脱しながら打率.300という数字を残したが、オフに退団となった。

「まだニッポンでやりたかった。不完全燃焼だネ」と語ったレオン。時は流れ、2003年にはオリックスの打撃コーチとしてプロ野球に“復帰”、5月から閉幕までは監督を務めたが、このときは結果につながらず、そのまま退任している。

写真=BBM
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