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【社会人野球】「西関東の強豪に打ち勝つ野球がしたい」 復活する日産自動車が狙う初年度からの都市対抗出場

 

示された具体的な活動方針


日産自動車硬式野球部の監督に内定した伊藤氏[右]と、ヘッドコーチに内定した四之宮氏[左]。2025年の活動再開を目指し、24年1月から本格始動する[写真=BBM]


 日産自動車は12月21日、本社硬式野球部の監督に伊藤祐樹氏、ヘッドコーチに四之宮洋介氏が内定したと発表した。同社は9月12日、2025年から活動再開を予定していることを明らかにしていた。クラブ登録の苅田ビクトリーズとして活動していた日産自動車九州(福岡県苅田町)は、24年に企業チームとして活動再開。新陣容は後日発表される予定だ。

 日産自動車硬式野球部(横須賀市)は1959年創部。都市対抗優勝2度、社会人日本選手権優勝1度の名門だが、2009年限りで休部していた。14年の時を経て復活。12月21日の記者会見では、具体的な活動方針が示された。

 伊藤氏は「ミスター日産」と言われたレジェンドである。津名高(兵庫)、福井工大を経て95年に日産自動車に入社。コーチ兼任を含め15年プレーし、10年連続を含む都市対抗13回出場で、98年は同社で、2003年には三菱ふそう川崎の補強選手で優勝を経験。初優勝を遂げた03年の日本選手権では最優秀選手賞。

 社会人ベストナインには、遊撃手として最多3度受賞している。03年のIABFワールドカップでは日本代表の主将として銅メダル。05年のアジア野球選手権、IABFワールドカップも主将として、ジャパンをけん引した華々しい球歴を歩んだ。19年は社会人野球を統括する日本野球連盟の設立70周年と、都市対抗野球大会が第90回の節目の「平成ベストナイン」で、遊撃手部門を受賞している。

 四之宮氏は今治西高(愛媛)で3年春のセンバツ甲子園で4強に進出し、青学大4年時には主将として全日本大学選手権優勝。00年に日産自動車に入社し、巧打堅守の内野手として活躍した。同年の都市対抗で若獅子賞を受賞し、休部となる09年まで10年連続出場を果たした。アジア競技大会に2度出場し、IBAFワールドカップのほか、04年のハーレムベースボールウイークでは主将を務めている。

休部の野球部を「守る立場」


 2人は09年の休部当時は現役選手だった。32人中15人が他チームへ移籍する中、伊藤氏と四之宮氏は現役を引退し、同社に残った。「廃部」ではなく、あくまで「休部」。つまり、活動を再開する道が残されている状況であり「日産魂」を持った人間が会社に在籍していなければ、野球部復活への熱意も、経営者側には直接伝わらない。休部の野球部を「守る立場」こそが、伊藤氏は「使命」と考えた。

「表舞台で活動する機会をつくってきた」(伊藤氏)と、休部以降も毎年、日産自動車野球部OBによる少年野球教室を開催。「日産復活」を信じ、地元の野球普及に貢献してきた。

「一旦、休部したチームが再び、戻ってくるチームはほぼない。正直、厳しいだろうな、と思いました。あきらめずに、前に進んできたことがつながった。大願成就です。50年の歴史に一度、歩みを止めましたが、再開にあたり、ゼロからのスタートです。その名に恥じないように、OBの方もいますので『オール日産』で野球部を盛り上げきたい」(伊藤氏)

 伊藤氏は2022年4月、アライアンスパートナーの三菱自動車に出向し、三菱自動車岡崎野球部のヘッドコーチに就任した。この2年間の経験が新生・日産自動車で生かされるという。三菱自動車岡崎は22年、都市対抗、日本選手権とも代表を逃した。

 チームを1シーズン見てきた上で、伊藤氏は改革に着手。「1プレー、1プレーを突き詰めていく部分で物足りなさを感じました。もう一つ、言い続けたのは『明るさを持っていこう!』と。一生懸命やろうとする中で『ミスはしてはいけない』『ここで打たないといけない』と凝り固まっていました。自分の良さを出せていなかったんです。その雰囲気を変えていけたのは、自分の中では大きかった」。

 23年は都市対抗に3年ぶりの出場を遂げ20年ぶりの8強進出。日本選手権も3大会ぶりに出場し、チームを軌道に乗せた。「スキのない、粘り強い野球」。日産自動車で培ってきたスタイルが間違いでなかったことを証明した。時代は変わっても、マインドは不変である。

「社会人野球も時代とともに運営方法、練習内容、取り組み方も変わってきています。ただ、根っこは今も昔も一緒です。日産で教わったことを信じてやるだけ。自信はあります」

 四之宮氏は社業に専念しながら、母校・青学大のコーチを務め、大学で同級生の安藤寧則監督を支えてきた。今年6月には全日本大学選手権で18年ぶりの日本一に貢献するなど、きめ細やかな選手指導には定評がある。

「14年間、社業に就いて勉強してきたつもりです。人と人とが熱くつながり合える野球部の復活を、心から願っていました。今回、会社がこういう判断をし、感謝しています。一からではなく、ゼロからのスタートで恐怖心もありますが、中身を濃く、強く詰めていき、未来へ向けて、見ている方がワクワクするチームを築いていきたいと思っています」

 2024年1月1日付で「本社野球部復活プロジェクト」が発足する。伊藤氏が出向先から日産自動車に戻り、四之宮氏とともに専任として選手スカウトのほか、25年の活動再開へ向けた準備を急ピッチで進めていく。

大会には25年から参戦予定


 新人の採用は学生主体で、初期メンバーは22人を予定している。「NPB経験者、他社からの移籍選手という選択肢もあるかと思いますが、現状は考えていません」(伊藤監督)。活動拠点は、追浜工場内に置く。25年の活動再開へ向け、クラブハウスと室内練習場の建設が最優先事項で、早ければ来年3月に着工する。2つの施設に隣接するグラウンドは「25年のシーズン中に完成できればいいか、と。シナリオはいろいろある」と同社関係者は見通しを語る。当面は横須賀スタジアム、令和佐原球場を軸に神奈川県内の球場を借りる。寮は追浜工場内の寮を使用し、将来的には野球部専用の合宿所の建設が計画されている。

 大会には25年から参戦予定。都市対抗予選における西関東地区にはENEOS、東芝、三菱重工Eastと全国トップの強豪ぞろいである。激戦区・神奈川に名門・日産自動車が戻れば、さらに代表争いは激化する。

「初年度から都市対抗に出るつもりです。西関東の強豪に、打ち勝つ野球がしたい。神奈川で勝てるチームをつくり上げれば、(本大会でも)勝つチャンスはある。相手チームさんにとっても、我々が嫌であるのは間違いない。それまでには準備をして、自信を持って戦っていく。強豪相手にぶち当たっていきたい」

 社会人企業チームが活動を再開するのは、稀なケース。高校、大学の現場としては「受け皿」が一つでも増えるのは大歓迎と言える。初期メンバーは苦労も多いだろうが、新たな日産自動車硬式野球部を積み上げていく達成感も得られる。現場は「ゼロからのスタート」と強調するが、半世紀の歴史は動かない。日産自動車をこよなく愛する伊藤氏、四之宮氏が魂のこもったチームに仕上げてくるはずだ。

文=岡本朋祐
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