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愛すべき助っ人たち

ヤジにも「目にも止まらぬ早業」で…野村克也や張本勲も助言を求めた近鉄のブルーム【愛すべき助っ人たち】

 

「ヤンキー・ゴー・ホーム!」にブチッ


近鉄、南海でプレーしたブルーム


 まだ優勝と縁がなかった時代の近鉄。のちの“いてまえ打線”が爆発した近鉄ではない。打線の異名は“ピストル打線”、パ・リーグの“お荷物”とさえ言われたチームに、南海の野村克也や東映の張本勲ら、パ・リーグ屈指の好打者が助言を求めた助っ人がいた。ジャック・ブルーム。一般的な通算打率における“規定打数”の半分、2000打数に絞れば、歴代の助っ人では7位にランクインする巧打者だ。

 知人の紹介で1960年に来日、近鉄へ入団。メジャー経験はなかったが、職人タイプで、打球練習は5球ほどで簡単に終わらせてしまう一方で、鏡の前での素振りは1時間を超え、時には2時間に迫ることもあったという。キャリアハイは来日3年目の62年で、近鉄ではシーズン最高となる打率.374で首位打者に輝いているが、その前年にはトラブルも。敵地の西宮球場での阪急戦で、客席から「ヤンキー・ゴー・ホーム!」、かなり穏便に訳しても「アメリカ人は帰れ!」のヤジがブルームに飛んだ。ブルームはヤジの主をロックオン。客席に駆け上がってヤジの主を突き倒し、蹴り上げる。千葉茂監督をして「目にも止まらぬ早業にワシも見とれてしまったよ」と言わしめた。

「あの言葉はアメリカ人には屈辱。許せない」と、ベンチへ連れ戻されてからもブルームの怒りは収まらず。現在では完全なヘイトスピーチになるだろうが、そんな意識も希薄な時代だった。もちろん暴力も肯定できない。ブルームは5万円の罰金と7日間の出場停止。刑事処分も検討されたが、「ヤジの内容にも問題があり、悪質なヤジの常習者でもあった」ということで、これは見送られている。

 62年に続いて翌63年も打率.335で2年連続の首位打者となったブルーム。63年の出塁率.396は最高出塁率でもあった。その後、65年には南海へ移籍、2年間プレーして帰国している。近鉄での579安打はチーム助っ人史上3位。2チーム7年間では通算打率.315。通算2000打数を超える打率.315の助っ人は3人いるが、ブルームの打率.3148はトーマス・オマリー(阪神ほか)には届かなかったものの、ジム・パチョレック(大洋ほか)は上回る。

写真=BBM
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