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愛すべき助っ人たち

打点王のタイトルもプレーは1年のみ 大洋ラストイヤーに輝いたシーツ【愛すべき助っ人たち】

 

歴史の転換点


大洋ラストイヤーに来日して好成績を残したシーツ


 現在のDeNAはプロ野球が2リーグ制となった1950年に参加した大洋が原点。愛称がベイスターズとなったのが93年で、このときチーム名も横浜に改めている。それまでの愛称はホエールズ。そんなホエールズ最後、つまり大洋としてのラストイヤーに輝いた助っ人がラリー・シーツだった。ただ、プレーしたのは、その1年のみ。それだけに、歴史の転換点にいた助っ人として印象を残している。

 大洋は本拠地が川崎だった60年に初のリーグ優勝、日本一を飾って以来、長く歓喜から遠ざかっていた。78年に本拠地を横浜へ移してからも低迷は変わらず。ただ、助っ人に名選手というだけでなくナイスガイが多いのも特徴だった。そんな大洋に、92年に入団したのがシーツ。前年オフに巧打者ながら長打が少ないことでジム・パチョレックを放出して獲得した助っ人だった。オリオールズとタイガースでメジャーを経験して、オリオールズ時代の87年に31本塁打、94打点、打率.316を残したこともあったスラッガーは、パチョレックに足りないとされた長打力を補った以上に、その安定感と抜群の勝負強さでチームに貢献していく。

 開幕戦では五番打者だったが、打撃が好調で5月には不動の四番打者に。長打力こそ26本塁打にとどまって当初の期待を超えなかったかもしれないが、前年のパチョレックに匹敵する打率.308の安定感。そしてリーグ最多の殊勲安打33で100打点を稼いで、打点王のタイトルを獲得した。だが、オフの契約がもつれたこともあって、そのまま退団。翌93年にはマリナーズでメジャーに復帰している。また、前年から在籍していたR.J.レイノルズも前年より本塁打は増やしたものの安定感を欠き、退団。大洋、そしてホエールズの終焉とともに、2人の助っ人が同時にチームを去ることになった。

 ちなみに、この2人に代わってチームが獲得したのがグレン・ブラッグスで、その“おまけ”のような形で入団したのがロバート・ローズだった。ブラッグスは4年で退団したが、その後も残留したローズの活躍で、横浜は、チーム2度目の歓喜へと突き進んでいくことになる。

写真=BBM
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