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愛すべき助っ人たち

「大型扇風機」の揶揄から覚醒も“自爆” 1年で退団してメジャー復帰でブレークしたフィルダー【愛すべき助っ人たち】

 

バースの後継者?


106試合の出場ながら38本塁打をマークしたフィルダー


 1985年にリーグ優勝、日本一に輝いた阪神。その立役者を1人だけ選ぶとしたら、間違いなく三冠王のランディ・バースになるだろう。だが、バースは88年のシーズン途中に退団。そして、その翌89年に入団してバースの背番号44を継承したのがセシル・フィルダーだ。前年オフには85年の四番打者だった掛布雅之も退団。フィルダーはバースだけでなく掛布の穴をも埋める活躍を期待されたといっても過言ではないかもしれない。

 そうなると、どうしても下馬評は厳しくなる。2月のキャンプでは本塁打を連発したものの、体重101kgの体躯は重々しく、大好きな肉を我慢して魚とジャパニーズ・ヌードル(うどん)でダイエットに励んだ。だが、オープン戦では2試合で7三振を喫して「大型扇風機」と揶揄された一方、広島のスコアラーからは「内角の速球は打てない」と冷静に分析され、早々に期待を裏切りかけている。だが、石井晶コーチとの出会いが、この強打者の覚醒を呼んだ。日本人投手の、いわゆる“かわす投球”に翻弄されて、ボール球に手を出して凡退していたものが、落ちる球と苦手の内角球を克服、好球を待てるようになると、次第に本塁打の量産体制に入っていく。

 開幕戦から本塁打を放ち、8月にはリーグ本塁打のトップ。ヤクルトラリー・パリッシュ中日落合博満らに大差をつけていた。だが、9月に三振を喫した際に悔しさのあまりバットを人工芝に叩きつけて、そのバットが跳ね返って指に当たり骨折。この“自爆”で、そのまま離脱した。

 85年の歓喜から転がり落ち、どん底の暗黒期に突入していた阪神は、運にも見放されていたのかもしれない。阪神で覚醒したフィルダーは、2年契約を解除。タイガースはタイガースでも阪神と友好関係を結んだばかりのデトロイト・タイガースへ移籍した。フィルダーは翌90年にメジャー13年ぶりにシーズン50本塁打を超える活躍で、以降2年連続で本塁打王、3年連続で打点王に輝いている。とはいえ、阪神での1年がなければ、フィルダーのメジャー復帰を経ての大ブレークはなかったかもしれない。

写真=BBM
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