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高卒1年目で逆方向にプロ初アーチ…中日・高橋周平に「長距離砲で復活」望む声が

 

一軍定着以降で最少の打席


2024年、復活へ期待がかかる高橋周


 2年連続最下位から巻き返しを図る中日で、かつての中心選手が背水の陣を迎えている。2024年がプロ12年目の高橋周平だ。

 23年は86試合出場で打率.215、0本塁打、14打点。「三番・三塁」で出場した3月31日の開幕・巨人戦(東京ドーム)で9回に決勝打を放つ最高のスタートを切ったが、4月中旬以降は左膝前十字靭帯不全損傷から復帰した石川昂弥に三塁の定位置を明け渡し、ベンチを温めるように。スタメンは35試合出場にとどまり、172打席は一軍に定着した18年以降で最少の数字だった。

 高校No.1スラッガーとして、将来を嘱望された長距離砲だった。神奈川県藤沢市で生まれ育ち、高校は東海大甲府高へ。1年春から四番に抜擢され、甲子園出場は叶わなかったが、高校通算71本塁打をマークした。3年夏に高校日本代表に選ばれ、AAAアジア野球選手権で決勝・韓国戦では先制2ランと適時打で優勝に貢献するなど、打率.500、13打点でMVPに輝いている。ドラフト1位で中日、ヤクルトオリックスが競合。当たりクジを引き当てた中日に入団する。高橋周は23年8月に週刊ベースボールの企画<PLAYER'S VOICE>「僕らにとっての甲子園」で、高校時代をこう振り返っている。

「甲子園出場が義務付けられている高校から、目指す高校に入学先をチェンジして。熱烈なラブコールを受けて、自分で東海大甲府に決めました。だから甲子園は近いはずが遠くなった場所。横浜高校へ進むと思っていた父はショックで家出したくらいですから。何日か帰ってきませんでした。入学してすぐ四番で使ってもらい、3年生がいるのに1年生で出るのはキツかったですね。寮生活も厳しかった。3年生になって、1年生で入ってきたのは渡邉諒(現阪神)。同部屋で、よく買い出しに行ってもらっていました。甲子園に出られず、落ち込んだ時期もありました。それだけに高校ジャパンで主軸を任せてもらえたのはうれしかった。3年夏は日大三が優勝して、ジャパンに選ばれて、『あ、(日大)三高の吉永(吉永健太朗)だ、横尾(横尾俊建、現楽天)だ』と。自分が行っていたかもしれない横浜高校からは近藤(近藤健介、現ソフトバンク)が選ばれていました。近藤とは今でも仲良しです」

 才能の片鱗を見せたのが、高卒1年目の12年に放ったプロ初アーチだった。6月17日のオリックス戦(京セラドーム)で、寺原隼人の外角直球を逆方向の左翼席に運ぶ決勝弾。18歳4カ月での本塁打はドラフト制以降の高卒新人では最年少だった。力みのないスイングからはじき返される打球は速く、飛距離も目を見張るものがあった。

まだ老け込む年ではない


 だが、その後はイメージと違ったスタイルにたどり着く。広い本拠地のバンテリンドームで確実性を磨いた方がプロの世界で輝けると決断。18年の11本塁打が自己最多で、20年に打率.305、7本塁打、46打点をマーク。コンパクトな打法で広角に安打を打ち分け、三塁の守備で2年連続ゴールデン・グラブ賞を獲得したが、21年以降は下降線をたどる。打率2割6分を超えられず、長打も少ない。高校時代から高橋周を見ていたスポーツ紙の記者はこう指摘する。

「プロに入団したときは、間違いなく球界を背負って立つ強打者になると思いました。イメージとしては今季本塁打、打点の2冠に輝いた近藤健介みたいな打者ですね。確かにバンテリンドームは本塁打が出にくい球場ですが、強いスイングをすれば外野の間を抜く二塁打、三塁打を量産できる。高橋周の能力を考えれば、このままで終わるのは惜しい。長距離砲で復活してほしい思いが個人的にはあります」

 まだ29歳と老け込む年ではない。レギュラーに返り咲くのは簡単な道ではないが、意地を見せられるか。

写真=BBM
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