歩んできた異色のキャリア
慶大・清原は学生ラストイヤーを「勝負の1年」と位置づける[写真=BBM]
NPB通算525本塁打を放った
清原和博氏を父に持つ慶大・
清原正吾(新4年・慶應義塾高)が2024年の練習始動日となった1月10日、あらためて「プロ志望」を表明した。
昨年12月24日の練習納めの際に、初めてその思いを明かした。なぜ、プロを目指すのか。
清原は慶應義塾幼稚舎3年からオール麻布で野球を始め、6年までプレー。慶應普通部時代はバレーボール部、慶應義塾高ではアメリカンフットボール部に在籍した。ブランク6年を経て、慶大で再び、野球部に入部。異色のキャリアを歩んできた。
「初心者だった」と、入学当時を振り返る。1年春のフレッシュトーナメント(2年生以下でチーム編成)から実戦機会を得たものの、大学レベルの投手は、そう甘くない。2年秋まで4季にわたり、神宮の打席に立ったが、目立った結果を残すことはできなかった。
リーグ戦デビューは2年秋。早大2回戦を代打で出場も、右飛に終わった。3年春は法大1回戦で初先発、開幕オーダーに名を連ねた。先発3試合で7打数1安打。2カード目の明大4回戦での代打(二ゴロ)を最後にベンチから外れた。3年秋、チームは4季ぶりのリーグ制覇、4年ぶりに明治神宮大会優勝を遂げたが、清原はスタンドでの応援組に回った。
「優勝は素直にうれしかったです。一人ひとりに役割があるのが、このチームの良さ。全員が、チームに関わっている」。慶大には200人近くの部員がいるが、控え選手はベンチ入りメンバー25人を全力でサポート。清原は持ち前の明るさで、慶大応援席を盛り上げていた。神宮球場を離れれば、次なるチャンスを生かすため、黙々と汗を流していたのである。
慶大・堀井哲也監督は言う。
「3年生の後半は、下(Bチーム)での試合出場を優先させたんです。(この状況を)乗り越えるか、それとも、腐ってしまうのか、心配していたんですが、見事に一生懸命やって、克服しました。這い上がってきた。B戦で相当、力をつけてきた。紅白戦を含め、ゲーム形式で5、6本塁打は放ったのでは……。あとは一軍(Aチーム)のレベルの投手を打てるか。その壁を、乗り越えてほしいです。(慶大は)4年生で花開くのが伝統。リーグ戦で頑張ってくれることを、期待しています」
昨秋までの三番・
廣瀬隆太(
ソフトバンク)、四番・
栗林泰三(JR東日本)、五番・
宮崎恭輔(パナソニック)の4年生クリーンアップが卒業した。堀井監督は横一線を強調し、清原も候補の一人であることを明言する。一塁手だけでなく、新たに外野手にも挑戦する。
「長打力が持ち味。まずは、2月の中津キャンプメンバーに選ばれるように、ガツガツ、アピールしていきたい。与えられたポジション、打順で精一杯やることに注力する。Aチームに入り、オープン戦で結果を残し、リーグ戦で、ベストパフォーマンスするためのピークに持っていきたい。チームに貢献したい」
「野球漬けの1年にする」
新4年生は就職活動真っ盛りだが、清原は「終わった時に後悔しないように、一日たりとも無駄にできない。限界まで体を追い込みたい。野球漬けの1年にする」と野球一本で勝負する。「中途半端ではなく、ここで一つのことをやり遂げることが、今後に生きてくる」。あくまでもプロを目指すのは、使命がある。
「大学で6年ぶりの野球。他の競技から転向して、結果を残した例はあまりないと思うんです。チームとして目指している日本一の目標とは別に、(プロは)もう1個の目標としている。第1人者として、証明できたらいい」
もう一つ、家族への思いがある。
年末年始。慶應義塾高で昨夏の甲子園Vメンバーである弟・勝児内野手(2年)と一緒に練習した。「兄弟、本当に仲良いんです。打撃投手をお互いにし合いながら、家族4人で練習もしました」。練習後、家族4人で鍋を囲んだことが、特に印象に残っている。
「練習終わりとか『幸せだったな』と思うことも多くて……。過去にいろいろあった分、皆さんが当たり前の風景がなかった分、長男ということもあって、その風景を見ていると『めちゃくちゃ幸せだな』と……」
最高の「恩返し」。清原は言った。
「家族のためにも、僕が長男坊として、還元できたらなと思っています。自分が納得するまで妥協せず、バットを振りまくりたい」
毎日、本数は決めず、良い形で振れるまでスイングを続ける。過去に例のないプロへの挑戦。可能性がある限り、夢を追い続ける。
文=岡本朋祐