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【高校野球】鎌倉学園が硬式野球部100周年記念祝賀会 強豪私学ひしめく神奈川で目覚ましい近年の躍進

 

「重い扉を開けてもらいたい」


カマガク魂は武田元監督[左]から、教え子・竹内監督[右]へつながれている[写真=BBM]


 鎌倉学園高(神奈川)の硬式野球部100周年記念祝賀会(主催・鎌倉学園硬式野球部OB会)が1月21日、横浜市内のホテルで行われOB、後援会など関係者約180人が出席した。

 硬式野球部は旧制・鎌倉中学校が創立された1921年(大正10年)と同時に創部。コロナ禍により、3年越しでの祝賀会開催となった。

 会の冒頭で流れた映像は、歴代部員が汗を流してきた第2グラウンドだった。60メートル×100メートルの形状で、硬式野球部、サッカー部が共用となっており、周囲では陸上競技部も活動。歴代部員はこうした限られた環境下でも、工夫を凝らしたメニューと、意識レベルの高さでカバーしてきた歴史がある。

 激戦区・神奈川において1962年春、69年春の甲子園出場を遂げた伝統校だ。校訓は「礼義廉恥」。学業と部活動を本気で取り組み毎年、国公立大学のほか、早慶など難関私学にも多くの合格者を出している私立男子校である。

 夏の甲子園出場をかけた神奈川大会では過去に6度の決勝進出も、いずれも高い壁に阻まれている。1978年から32年率いた武田隆元監督(現・副校長、2011年に育成功労賞を受賞)は壇上でのあいさつで、戦後の厳しい時代を乗り越えてきた歴代指導者に最大限の敬意を表した上で「一つの宿題が残っています。夏の甲子園に出ていない。この重い扉を開けてもらいたい」と、現体制に期待を込めた。

 諸先輩からつながれた「カマガク(鎌学)」の思い、タスキを継承しているのが、2013年秋から母校を指揮する竹内智一監督だ。高校3年間、武田元監督の薫陶を受けた「秘蔵っ子」である。武田元監督は回顧する。

「監督在任中、広島商で部長、監督、広島県高野連の会長も務められた畠山圭司先生の勉強会に参加したことがあるんです。そこで学んだのは『広商の野球は、立派なマネジャーをつくる。立派な主将をつくる。ここが育てば、チームは育つ』と。早速、実践しようと考えていた際、適任者として竹内が在籍していたんです。専属マネジャーを置くのは初めて。チームをマネジメントし、主将よりも上の立場。第1号として、チームをより良くするために頑張ってくれました。以降ですか? 出てこなかった(苦笑)。最初で最後です」

 竹内監督は早大でも野球を続けた。4年時は学生コーチとして、早大史上初の東京六大学リーグ戦4連覇に貢献。当時、率いた野村徹監督の右腕として尽力し、2003年の学生野球協会の年間表彰において、東京六大学野球連盟を代表して表彰を受けた。プレーヤー以外の部員が選出されるのは、超異例だった。大学卒業後、一度は一般企業に就職したものの、恩師・武田元監督から影響を受けた指導者への夢が捨て切れず、退職。新たに教員資格を取得し、母校に奉職した努力家である。

竹内監督が忘れられない試合


2018年夏、南神奈川大会の準優勝盾。鎌倉学園高は過去に6度、夏の決勝で無念の敗退を喫している[写真=BBM]


 強豪私学はひしめく神奈川において、鎌倉学園高の近年の躍進は目覚ましいものがある。2017年秋に県4位、18、19年春は県4強、18年夏の南神奈川大会では30年ぶりの決勝進出。20年秋は県大会準優勝で、33年ぶりの関東大会へ進出した。同大会では、1勝を挙げて8強。21年のセンバツでは関東地区の補欠校に選ばれた。そして、昨秋の県大会では4強進出。センバツ21世紀枠の県推薦校に6年ぶり4度目(神奈川県最多)の選出となった。

 夏の県大会における勝利の「全力校歌」は、神奈川の風物詩として定着。昭和のような「泥臭い野球」を前面にしながらも、生徒たちが考えて動く「大人の野球」が同居している。

 武田元監督には「神奈川の中で本当の『文武両道』は、我が校が一番である」と自負があり「今の時代に合わせた、ベストの指導をしている」と、竹内監督に全幅の信頼を寄せる。高校卒業後は大学で野球を続け、竹内監督のように、裏方としてチームの力になるOBも多いのが特徴。プレーする「選手」だけではない。部を動かす「人」を育てているのだ。

 竹内監督には、忘れられない試合がある。6度目の夏決勝敗退を喫した2018年夏、横浜高に3対7で敗れた試合後のシーンだ。

「試合に負けて悔しかったですが、感激したんです。横浜高校の校歌斉唱が始まると、カマガク側の応援席から一小節ずつ、心がこもった手拍子が巻き起こりました。球場全体が一つになり、100年の歴史を積み上げてきた神奈川の高校野球の素晴らしさに、誇らしく思いました。カマガクで良かった、と」

 相手をリスペクトする姿勢に心打たれた。竹内監督は思い返したように、壇上でこのエピソードを披露すると、涙を流した。相当な熱血漢である。勝負の世界に身を置いている以上、求めるのはあくまでも「結果」である。

「あのグラウンドから甲子園に行くことが、私たちのアイデンティティーとしてある。カマガクのスタンドをつくってくれる方々のために、甲子園で一緒に校歌を歌いたい」と、決意を新たにした。一方、教育者の顔もある。

「自分としては99年目、100年目、101年目も変わらない熱量で生徒たちと接してきたつもりです。一人でも多くの生徒が『カマガクで良かった』と言ってもらえる3年間を過ごしてほしいです。それ以上の幸せはない」

 この日の記念祝賀会には約150人の野球部OBが出席したが、20〜30代の卒業生の姿が目立った。竹内監督の人望の厚さにほかならない。パーティー後は、すぐに現実に戻った。

「秋の結果は出来すぎです。対外試合解禁後の初戦となる3月8日まであと47日。1日、1日、その日に向けて準備していきたい」

 武田副校長は「秋も良いチームに仕上げてきました。ただ、夏を勝ち進めるかは別問題。総合力がないと、夏の神奈川は勝てない。ワンランク、2ランクレベルアップしないと厳しい部分はある。総合力で戦えるチームを育ててほしい。私が学校にいる間は、バックアップしていきたいと思います」と、全面サポートを約束。すぐ横で竹内監督は恩師の熱い言葉に耳を傾け、背筋を伸ばした。明日からまた、学校、グラウンドで全力で勝負する。

文=岡本朋祐
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