週刊ベースボールONLINE

高校野球リポート

【高校野球】「今、できる状況で、最大限の努力をしてほしい」 後輩にエールを送る鎌倉学園のレジェンド左腕

 

1988年夏の神奈川大会準優勝


鎌倉学園高OBの家城氏は1988年夏の神奈川大会準優勝投手。右手には第70回記念大会の準優勝盾が飾られていた。技巧派左腕だった[写真=BBM]


 鎌倉学園高(神奈川)の硬式野球部100周年記念祝賀会(主催・鎌倉学園硬式野球部OB会)が1月21日、横浜市内のホテルで行われOB、後援会など関係者約180人が出席した。

 創部1921年の鎌倉学園高は過去に春2回(1962、69年)のセンバツ甲子園出場。夏の甲子園出場はなく、過去に6度、神奈川大会決勝へ駒を進めながら、涙をのんでいる。ユニフォームは左胸に「K」。県下屈指の伝統校は「カマガク」として親しまれている。

 1988年夏。昭和最後の第70回記念大会の準優勝投手は家城良則氏だ。鎌倉学園高は1回戦から7試合を勝ち上がった。技巧派左腕・家城氏は3回戦を除く6試合登板。法政二高との決勝を前に、体力は限界に近づいていた。

 制球力抜群で、最大の武器は、縦に割れるカーブだった。当然、相手校も対策を講じてくる。家城氏は勝負の夏を見据え、新たな球種として、シュート系のシンカー習得を試みた。「6月に入ってもうまくいかず、結局、夏の大会はカーブに頼らざるを得なかった」。若田部健一氏(元ダイエーほか)がエースだった87年夏に続く4強進出。しかし、家城氏は横浜商高との準決勝で最大のピンチを迎える。

「連投の影響で、試合中盤、カーブの多投で負担のかかっていた人差し指が水ぶくれ。8回に破れてしまいました……。ベンチで武田(隆)監督に報告したんですが『お前しかいないから……』と続投。何とかごまかしながら、2イニングをしのぎました。第1関節から先の皮がすべてむけてしまい……。爪が割れた際は瞬間接着剤でしのいだ経験がありましたが、マメは初めてで……。決勝は中指しか使えませんでした。法政二高の強力打線には、ごまかしも通用しない。満身創痍でした」

 家城氏は5回で降板。1968年以来、5度目の決勝も1対9で敗退し、甲子園出場を逃した。無念はあったが、同時に達成感もあった。

「あの大観衆で、地元の選手たちだけで、横浜スタジアムの決勝の舞台に立てたのは幸せでした。試合に負けたことは悔しかったですが、やり切った思いのほうが大きかったです」

 なぜ、鎌倉学園高は快進撃を遂げたのか。

「全国から人を集めて『甲子園至上主義』『全国制覇』を目指す風潮にある学校とは、大きく異なります。ウチの学校の良いところは、鎌倉近隣の中学生が集まり、全員が結束して、狭いグラウンドで切磋琢磨し、勝ち上がることに価値を見いだしていました」

 2018年夏。鎌倉学園高は30年ぶりの決勝進出を遂げた南神奈川大会決勝(対横浜高)でも、あと一歩、及ばなかった。後輩たちの挑戦は続く。レジェンド左腕はエールを送った。

「恵まれた環境ではない。勉強との両立も大変であると聞いています。でも、それがカマガクの良いところ。さまざまな壁を乗り越えたときにこそ、誇れる実績になる。今、できる状況で、最大限の努力をしてほしいです」

 昨年12月、神奈川球児による「昭和45年会」が発足した。同期の絆。家城氏にとって3年間の高校野球は、人生の宝物である。

文=岡本朋祐
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング