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愛すべき助っ人たち

中日の助っ人では通算“本塁打王”。真面目で不器用、20年ぶりリーグ優勝の使者となったマーチン【愛すべき助っ人たち】

 

巨人V10の夢を打ち砕け!


パワーヒッターとして中日を頂点に導いたマーチン


 落合博満監督が21世紀に入って築いた黄金時代があり、それ以来、歓喜から遠ざかっている中日。輝いていた時期からのギャップもあって長くて暗いトンネルのように思えるが、期間でいえば、それ以上の苦しみを経験してきたチームだ。

 初のリーグ優勝、日本一は2リーグ制となった1954年。そこから再びリーグ優勝から遠ざかる。だが、巨人V10の夢を打ち砕いたリーグ優勝を果たしたのが中日だ。このとき来日1年目、四番打者として中日に20年ぶりの栄冠を呼び込んだのが助っ人がジーン・マーチンだった。

 来日2年目のジミー・ウィリアムが精彩を欠き、キャンプの打撃練習でボテボテの当たりを量産していたマーチン。あまりにも頼りない助っ人たちの姿に、来る歓喜を予想できた向きは少なかっただろう。だが、シーズンが開幕した途端、マーチンは変貌する。4月16日のヤクルト戦(中日)で3打席連続2ラン本塁打という離れ業を見せて四番打者に定着。日本人投手の変化球に苦しめられたこともあり、三振の多い大味さはあったものの、当たり始めたら止まらず、抜群の勝負強さが弱点を帳消しにした。最終的には35本塁打。欠点を補って余りある活躍でリーグ優勝に貢献した。

 数字だけではない。そのキャラクターもファンに愛された。27歳での来日で、黄金の口ヒゲを蓄えていたが、若々しいとは言い難い薄めのヘアスタイル(?)もトレードマークだ。塁上でヘルメットから帽子に素早くチェンジする素早さも愛嬌たっぷり。攻守に不器用、スランプに陥ると悩んで長引く真面目な性格だったが、それでも全力プレーは徹底していた。

 3年目の76年には安定感も向上。自己最多の40本塁打、104打点とキャリアハイを迎える。だが、33本塁打、84打点でチーム2冠の78年オフに解雇。球団にはファンから残留を求める投書が多く寄せられたという。翌79年に移籍した大洋でも28本塁打、83打点はチーム2冠だったが、やはりオフに解雇され、帰国した。

 2チーム通算189本塁打。中日での161本塁打はタイロン・ウッズを抑えて助っ人のチーム通算“本塁打王”だ。

写真=BBM
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