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愛すべき助っ人たち

岡田彰布は「阪神の歴史に名を刻んだ名ピッチャー」…暗黒期をエースとして支えたキーオ【愛すべき助っ人たち】

 

いきなり開幕投手としてデビュー


暗黒期の阪神でエースとして活躍したキーオ


 現在、阪神を率いる岡田彰布監督は、その現役時代、1985年のリーグ優勝、日本一、いわゆる”猛虎フィーバー”の絶頂期と、そこから転落して低迷を極めた暗黒期の両方を知る、阪神にとっては歴史の生き証人のような存在でもある。そんな彼をして「阪神の外国人投手の歴史に名を刻んだ名ピッチャーだった」と言わしめたのが、85年の頂点から転がり落ち、どん底に沈んだ87年の開幕投手を務めたマット・キーオだ。

 このとき、来日1年目。つまり、初めてプロ野球のマウンドに立ったのが1年目の開幕戦ということになる。確かに、メジャー5チームでプレーして、アスレチックスでは3年連続2ケタ勝利と、実績は申し分なかった。

 父は南海でプレーしたことのあるマーティ・キーオで、このときマットも少年時代の1年間を日本で過ごしている。こうした経緯もあったためか、すぐ日本に馴染み、陽気な性格でナインやファンにも愛された。もちろん、それだけではない。わずか2年前の勢いを失った阪神にあって、その孤軍奮闘ぶりは、かすかな希望の光のようでもあった。

 すさまじい変化を見せるナックルカーブを武器に、1年目から11勝。ただ、開幕戦に敗れたものを含む14敗と、負け越している。もちろん、これも孤軍奮闘の勲章だ。翌88年、阪神は2年連続で最下位。85年から2年連続で三冠王、85年のMVPだったランディ・バースがシーズン途中に退団して、オフに四番打者の掛布雅之が現役を引退したシーズンだ。この悲壮なシーズンにキーオは12勝12敗、リーグ6位の防御率2.76という数字を残している。

 続く89年がキャリアハイで、15勝9敗。阪神は最下位から脱出した。だが、その翌90年は故障もあって7勝に終わると、オフに解雇。日本を去ることになった。

 それでも、4年間のキャリアでの通算45勝は、阪神の“助っ投”ではジーン・バッキーランディ・メッセンジャーに続く歴代3位。通算398奪三振も同5位として残る。歴史に「if」はナンセンスだが、もし阪神に勢いがある時期に来日、入団していたら、これらの数字も間違いなく大きいものになっていたはずだ。

写真=BBM
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