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愛すべき助っ人たち

みんな言えますか? ライオンズ逆転優勝に貢献した“三銃士”【愛すべき助っ人たち】

 

14.5ゲーム差を引っくり返す逆転劇


“助っ人三銃士”と呼ばれた左からロイ、ウイルソン、バーマ


 獅子の時代……といっても西武ではない。その昔、ライオンズが九州は福岡に本拠地を置いていた西鉄の物語だ。

 1950年代の後半に黄金時代を謳歌した西鉄。3年連続で巨人を破っての日本一は、のちの80年代から90年代にかけて巨人と“盟主決戦”を演じた西武の輝きに匹敵する。だが、西鉄は59年から4年連続でV逸。53年を最後に長く外国人選手がいなかった西鉄が63年に獲得した助っ人が西鉄の逆転劇を盛り上げることになる。

 当時の西鉄は打線に中西太豊田泰光という強打者がいて、稲尾和久が絶対的エースとして君臨。投打の3大スターが中心となっていたチームだったが、豊田が国鉄(現在のヤクルト)へ移籍、そのトレードマネーを資金として獲得したのが、この助っ人たちだった。総勢3人。兼任監督となり、故障にも苦しめられた中西の、まさに“助っ人”として活躍した3人は、“助っ人三銃士”の異名を取る。

「引退したら日本に永住してコメディアンになりたい」と言っていたのが、ひょうきん者のトニー・ロイ。遠征でも日本人選手と同じ旅館に泊まり、大部屋での雑魚寝もへっちゃら、宴会ではタバコをマイクがわりに演歌を歌っていたというから、その順応ぶりは驚異的だ。3人とも勝負強さが持ち味だったが、ロイは安定感には欠けたものの、3人では最多の21本塁打、81打点をマークしている。

 3人の最年長38歳で、ナインから「おじいちゃん」と呼ばれて親しまれたのがジョージ・ウイルソン。メジャーの経験では3人の中ではトップで、言い換えれば全盛期は過ぎていたのだが、その経験値は大事な場面での打撃につながり、最終的には20本塁打、67打点を残した。

 ジム・バーマはキャンプでの評価も高くなく、四番を務めている間は低迷していたが、四番を外れてから真価を発揮。リーグ優勝を決めた試合では決勝の2ラン本塁打を放って強烈な印象を残した。19本塁打、57打点は3人では最少だが、打率.274は3人ではトップの数字だ。

 西鉄は14.5ゲーム差を引っくり返して逆転優勝。3人そろって終盤に好調だったことも、その逆転劇に華を添えた。

写真=BBM
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