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2024センバツ

【2024センバツ】創部22年でセンバツ初優勝 弱い時代を知る健大高崎Vの陰の立役者

 

「チーフマネジャー」として


岡部氏は2002年4月の野球部創部からコーチ、チーフマネジャーとして野球部の運営に携わっている[写真=BBM]


第96回選抜高校野球大会▼第11日
【決勝(3月31日)】
健大高崎(群馬)3-2報徳学園(兵庫)

 健大高崎高が創部22年でセンバツ初優勝を遂げた。群馬県勢初の春制覇。創部の2002年4月から指揮する青柳博文監督は「自分一人ではなくコーチのほか、いろいろな方の支援があったので感謝しかない」と男泣きした。

 陰の立役者となったのは、岡部雄一氏である。チーム内では「チーフマネジャー」の役職だ。生方啓介部長は「本来、部長である私がしなければならない仕事も、さまざまな面でマネジメントしてくれる。私はグラウンドに集中できるので、本当にありがたいです」と明かす。いつも笑顔を絶やさない。「明るいですし、生徒たちにもいい影響を与えている。私にとっても、心の支えです」と頭を下げる。

 伊勢崎東高では外野手としてプレー。金沢工大を経て2000年、高崎健康福祉大に事務職員として奉職した。休日は地元の社会人クラブチーム・伊勢崎硬建クラブでプレー。健大高崎は前身の女子校から01年、男女共学化に伴い、現校名に改称。野球部が同好会として発足した。翌02年に青柳監督が就任し、部に昇格。指揮官を支えるコーチに白羽の矢が立ったのが、野球経験者の岡部氏だった。

「何とか、青柳監督を助けたい。その一心でした。当時はグラウンドもなくて、近くの軟式野球場を、硬式でも使えるように配慮していただいたり……。監督もよく言っていますが、弱い時代に練習試合の相手をしてくださった学校さんには、感謝しかありません」

 05年に青柳監督の出身・東北福祉大の後輩である生方氏が同校に赴任。以降、岡部氏は現場から一歩離れた立場で、チーフマネジャーとして野球部に尽力してきた。後援会との連携、練習試合の際には相手校の弁当の手配、お客さんが来訪した際の送り迎えの運転手。何から何まで、健大高崎高のために動いた。

 報徳学園高との決勝前もチケット手配に追われ、一塁アルプスに入ったのは試合開始5分前。慌ただしい中でも充実感にあふれていた。

「ここまで来られて、幸せです。甲子園で応援ができるのも、健大高崎の野球部があってのこと。青柳監督と生方部長が二人三脚で、ここまで来た。感慨深いものがあります」

 創部からすべてを知る岡部氏だが、決して自身が表に出ることはしない。相手を立てる。「日本一」の背景には、最強の裏方がいた。

文=岡本朋祐
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