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記録と記憶で徹底分析! 全30冊で1500選手以上を網羅する『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』創刊! 燃え尽きた悲運の名投手・神田武夫

 

史上屈指の投手酷使イヤー


『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』表紙


 1934年12月26日、のちの巨人軍、「大日本東京野球倶楽部」が創立。2024年はプロ野球90年の節目の年となる。

 今回、小社ではプロ野球90年を記念し、歴代のトッププレーヤー1500人超をポジション別に分けた『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』を企画。第1号を発売した(一部地域を除く)。

 1号目のテーマは先発右投手パ・リーグ編。基本的にはポジション別にセ、パ1冊ずつだが、数の多い投手のみ、先発右投手、先発左投手、リリーフなど、さらに細分化している。

 全30冊で構成し、愛読者プレゼントとしてオリジナル収納ボックスも準備。詳しい内容については、ご購入いただき、確認していただければ幸いです。

 今回はその神田武夫(南海)の記事(データ)からチョイ出し。

 実働2年で49勝。21歳、結核で死去された方である。

 ピックアップするのはプロ2年目の1942年だ。この年、4月18日から25日までの8日間で行われた南海の5試合で神田はすべて勝利投手になっている。

 内訳は完投、二番手で7回、二番手3回、完投、完封だった。さらに言えば、続く26日の試合で登板はなかったものの、27日には完封、29日には1失点完投負けと続いた。

 この年のプロ野球は春、夏、秋と分かれて優勝を決めていたが(公式記録は1シーズン)が、神田は春に限れば、35試合のうち24試合に投げ、14試合完投の13勝だ。すさまじいとしか言いようがない。

 しかし、病と闘いながらの連投で確実に体力は削られ、後半は急失速した。43年は一度もマウンドには立っていない。

 この42年は屈指の投手酷使イヤーであり、神田は372回の投球回だが、朝日の林安夫が541.1回、大洋の野口二郎が527.1回で、歴代のシーズン最多投球回のトップ2を占める。兵役の選手が多く、どのチームも選手が足りなかったこともあった。

 なお、1号目のみ、お手軽な特別価格890円で。もちろん、「やきゅう」からです。
週刊ベースボール編集部

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