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引退も覚悟した西武・岡田雅利が左膝の大手術から実戦復帰「『おかえり』は、まだ言わないでください」

 

絵馬に込められた想い


実戦復帰後、笑顔を見せる岡田


『治る!! 治る!!!  治す!!!! 復活!! やるしかない』

 2024シーズン開幕を前に、岡田雅利はそう絵馬にしたためた。そこには、どれほどの想いが込められているのか。決して軽々しく想像できるものでないことは、「!」の数を見ただけでも重々伝わってきた。

「ほんまに『治ってほしい』っていう思いと、『治ってくれ』っていう願いだけじゃ無理やから、自分が努力しないとという決意かな。最終的には“完全に治す”というのが僕の目標なので、そのためにも、まずは試合に出ることを目指していこうという気持ちで書きました」

3月26日、狭山不動尊での必勝祈願の際、意気込みを書き込んだ絵馬


 2023年3月14日。岡田は『大腿骨・脛骨骨切り術』という大手術を受けた。それは、プロキャリアで3度目となる左膝へのメスだった。

「手術の日はもう痛すぎて寝れんくて、死にそうでしたわ。言葉では表現できない。ずっと正座をしてなくちゃいけなくて、それをちょっとでも動かしたら、「(激痛で)ゔぁーっ」ってなる。その後、1、2カ月入院してる間も、足を着いたらダメで、松葉杖を使いながらけんけんやったし。ちょっとでも着いたら『ビクン』ってなるから、『これ、治ってないんちゃうか?』って思ったりもして。もう絶対にやりたくないなと思います」

 退院後も、日常生活、もっと言えば、激痛で歩行すらままならならず、「正直,引退も考えた」という。それでも、不屈の精神で治療、リハビリを乗り越え、2024年4月6日、千曲川硬式野球クラブとの三軍戦でついに実戦復帰を遂げた。

祈りと、「ただいま」のあいさつ


1回表、守備に就く際、ホームベースに右手掌をそっと添えた


 試合30分前、この日先発の山田陽翔のウォーミングアップ、キャッチボールの様子を眺めながら、岡田は「まだちょっと怖いんですよねー」と、やや緊張気味な笑顔を見せた。ただでさえ、約1年半ぶりとなる実戦だ。さらに、大ケガをしてから初めての試合だけに、多少の不安と恐怖心は当然と言えば当然だろう。九番・キャッチャーでスタメン。出場は「打順が回ってくるまで」。つまり、キャッチャーのみの出場と決まっていた。

 1回表。守備に就く西武ライオンズの選手の守備位置と名前がコールされる中、岡田は定位置に腰を落とすと、そっと、ホームベースに右手掌を添えた。

「もう頼むからケガさせんとってくれ。お願いします」

「ようやく帰ってこれたな」

 祈りと、「ただいま」のあいさつが込められたこの姿にこそ、岡田にとってこの日、この瞬間がどれほど大きく、大切なものであるかが表れていた。

 予定どおり、3イニングでマスクをかぶると、その裏の攻撃時に打席がまわり、試合を退いた。
 
 無事に出場を終えると、岡田はトレードマークの満面の笑顔であふれる想いを口にした。

「もうちょっと長く出たかったなー。でも、1年半ぐらいぶりにしては、良い雰囲気で入れたし、ほんまに純粋に『野球って楽しいな』って思えて、なんか少年に戻った感じがしました(笑)」

「ようやく(状態が)上がってきて、そこでもう1個、『プロとして、レベルがどうなんかな?』と思っていたのですが、勝手に体が動いちゃうというか、守った瞬間にグッときたというか。『うわ、何これ』っていう、プロに入って初めての感覚がありましたね」

「三軍戦ですけど、ファンの人が入ってくれて、ものすごい拍手をくれたり、選手も全員後輩という中で、情けないプレーもできないし、カッコ悪いところは見せられないなと思ったら、気持ち的にやっぱりガッと入りました。正直、打席にも立ちたかったから物足りない部分はありましたけど、『すっごいよかったな』『あ、(試合でプレー)できたんだ』って、自分自身で感動しています。数カ月前まで、歩くことすら痛かったので。そう考えたら、復帰の一歩という意味では、ものすごく大きな1日だなと思いますね」

感謝してもしきれない恩人


 そして、感無量の思いとともに込み上げてくるのが、今回手術を執刀してくれた亀田京橋クリニックの加藤有紀医師と、パーソナルトレーナー大川達也氏(株式会社ストロングス)への言い尽くせぬ感謝の念だ。前日の4月5日、両氏へ連絡し、「明日、試合に出ます」と自らの口で報告をしたという。

「この2人には、本当に感謝してもしきれません」

 最初に左膝半月板の手術を行なったのは2019年だった。その後も痛みは完全には消えなかったが、「あのころは若さでできたというか、体が勝手に動いちゃっていた部分があって、痛かったけど、やれた」。何度も何度も注射を打ちながら、意地でプレーを続行した。

 2度目の手術は2022年。「あのときは、もう限界でしたね。これはちょっともう無理だなと思って、7月に手術を決意しました」。

 それでも完治には至らず、「『もう無理だな』って、正直、引退も考えました」。

 そこで出会ったのが加藤医師であり、『大腿骨・脛骨骨切り術』を成功させてくれたおかげで、長年苦しみ続けた左膝の痛みは完全に消えた。

 さらに、以前から自主トレなどでトレーニングを見てもらっている大川トレーナーは「恩人」とも言うべき存在となった。

「大川さんには一番感謝しています。毎週、僕が連絡しなくてもあちらから連絡をもらって、『どう?』って確認してくださって。本当に毎週欠かさず、ずっと一緒にトレーニングをやってもらっていました。僕自身、「もう無理だな」と思ってしまいそうなところを、『もう1回頑張ろう! もう1回頑張ろう!』って、ずっと励ましてもらっていました。大川さんとトレーニングをやっていなかったら、多分ここまで戻ってないと思います。やはり、自分でできると言っても限界がありますから。正直、時には『行きたくないな』と思う日もあったけど、それでも『絶対良くなる。良くなる』と言ってもらって、実際、行ったら本当に良くなっていたので。おかげで筋量も上がりました」。

右足に比べ、左足のほうが真っすぐになっている


「加藤先生も、『ここまできたのは、奇跡やな』って言ってて」

 そう言いながら、岡田はユニフォームのズボンの裾を膝上までまくし上げ、両足の違いを見せてくれた。

 手術した左膝にはサポーターが巻かれていたが、右足に比べ、足が真っすぐになっていることははっきりと分かった。

「30何年も、こうやってO脚で過ごしてきて、その膝を(手術で)内側に入れたんやから、そりゃあ、かばって別の箇所に痛みが出たりもしますよね。そういうところは、これからトレーニングをしっかりやって補っていかないといけないなと思います。それでも、両膝がつくんですよ! ほんまにすごいですよ。今の(医療)技術は」

 患部に関しては、今ではまったく痛みも心配もないという。だからこそ、「最終的な目標は、一軍の試合に出て、『手術しても治るんや。できるんや』ということを、執刀してくれた加藤先生や大川トレーナーにも証明したいんです」

はっきりと未来をイメージ


 今年は、高知・春野での春季キャンプもしっかりとメニューをこなし、一歩一歩、着実に完全復帰へのステップを踏んでいる。その中で迎えた実戦復帰は、プロとして、「すごく気持ち的にも楽になりました」。同時に、また新たな活力をもたらしてくれた。

「次の試合ではしっかりと打席に立って、3イニング、4イニングをしっかり守って、そこから、ピッチャーに『岡田さんやったら投げやすい』とか、そういうふうに思ってもらえるように頑張っていきたいなと思います」

 フルパワーを“10”とすれば、現時点での状態は「“6”ぐらい」だという。「次は7、8に上げて、まずは二軍選手にならないと。そこは特例とかそういうのを抜きに、自分も若い子と必死にやって、勝ち取っていかなあかんなと思っています」

 これまで、自分が再びプロ野球選手として試合に出られるとは、想像もできなかった。でも今は、はっきりと未来をイメージできている。

「一軍の舞台に戻って、『キャッチャー・岡田』というコールと、自分の登場曲(『それが大事』大事MANブラザーズバンド)をファンのみんなに歌ってもらえたら最高ですね。そこへ向けた一歩を、今日、ようやく進めました」

「だから」と、岡田は続けた。

「その日まで、『おかえり』は言わないでください」

 そう言って会話を締めくくった背番号『2』の笑顔は、最高に明るく輝いていた。

文&写真=上岡真里江
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