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愛すべき助っ人たち

「日本は嫌い。アメリカに帰りたい」…ファンサービスでの俊足ぶりは記憶に残るバンプ【愛すべき助っ人たち】

 

ブーマーが三冠王になったオフに


メジャー通算196盗塁の実績をひっさげ83年に来日したバンプ


 記憶に残る助っ人だったことは確かかもしれない。ただ、それはグラウンド上のプレーだったとは言い難い。ある意味ではグラウンド上なのだが……。

 1983年に来日し、身長200センチ、体重100キロという分かりやすい数字もあり、もちろん打棒でも翌84年には外国人選手として初めて三冠王に輝いたのが、阪急(現在のオリックス)のブーマー・ウェルズだ。だが、1年目は打率.304の安定感は見せたものの、破壊力は17本塁打にとどまって、このシーズンの時点で翌年の三冠王を予感したファンは少なかっただろう。

 一方で、ブーマーと同期入団となった助っ人は、まさに鳴り物入りの来日といってよかった。父親はメジャーの盗塁王で、阪急でも臨時コーチの経験があるモーリー・ウィルス。その俊足は受け継がれ、自身もメジャー通算196盗塁の実績があった。バンプ・ウィルスだ。契約も4年。阪急には“世界の盗塁王”福本豊もベテランになっていたとはいえ健在であり、左打者の福本、スイッチヒッターのバンプが並んで機能するようになれば別次元の機動力野球が展開される可能性もあっただろう。だが、バンプについて最も語り継がれるのは、残念ながら1年目でのファンサービスの場面だ。

福本とともに西宮球場でサラブレッドと競争するファンサービスも行った


 当時は集客力で巨人を筆頭とするセ・リーグに大差をつけられていたパ・リーグ。阪急も例外ではなく、ファンサービスとして企画したのが本拠地の西宮球場で福本とバンプ、そしてサラブレッド、つまり馬を競走させる、というものだった。まず真っすぐ走らなかった馬が離脱する誤算。福本とバンプの2人の競走で良かったのではないか、などとは言ってはいけない。結果、バンプが1着でフィニッシュした。

 この83年、バンプは20盗塁に加え、12本塁打と長打力も見せたものの、ずっと「日本は嫌い。アメリカに帰りたい」と言っていたという。怠慢プレーも多く、上田利治監督とも何度も衝突。翌84年はブーマーの覚醒で阪急が最後のリーグ優勝に突き進んでいく中で、バンプは打っても低迷、自慢の俊足でも2盗塁しか残せず、まだ契約は残っていたが、オフに退団となった。

写真=BBM
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