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【高校野球】神奈川県立高校に潜んでいたドラフト候補 強豪校相手に14奪三振…菅高・岩瀬将

 

11球団から接触


学校内にあるグラウンドの三塁側ブルペンで投球練習に力が入る[写真=田中慎一郎]


 神奈川県立菅高等学校は1983年開校。硬式野球部は翌84年から夏の神奈川大会に出場しており、過去の最高成績は2012年の4回戦進出(ベスト32)である。

 143キロ右腕・岩瀬将(3年)は言う。

「夏の目標はベスト16(5回戦進出)、その先のベスト8を目指し、学校としての歴史を塗り替えたい。自分は県内でも名前が知られていないと思うので、注目校から『こんなピッチャーがいたんだ!!』と思われるようなインパクトを残したいと思います。自分たちはダークホースとして、勢いに乗って、一戦一戦、勝ち上がっていきたいと思います」

 現チームは昨秋、今春とも川崎・横浜北地区予選敗退。県大会に駒を進めておらず、チームとしての目立った実績はない。だが、昨年12月頃からにわかに周辺が騒がしくなっていた。「神奈川の公立高校にドラフト候補がいる」。口コミはすぐにNPB各球団のスカウトに広がった。お目当ては、岩瀬だった。

 今年4月から菅高を率いる平林明徳監督によれば、11球団から接触があったという。なぜ、脚光を浴びる存在となったか。昨年10月、県外の私学強豪校との練習試合がきっかけだ。平林監督によると、相手はほぼ同秋の公式戦レギュラー選手で臨んできたという。

「圧倒的に強い相手に投げるのは初めて。平林先生からは『自分の将来が変わる試合になるかもしれない』と送り出されました。失うものは何もない。例えれば、自分は何も身に付けておらず、まさしく拳一本で勝負するイメージ。とにかくど真ん中をめがけて、ストレートを投げ込みました。変化球? 当時はまだ何も投げられず……(苦笑)。一応、見せかけでスライダー紛いを投げていました」

 試合は2対8で敗退も、完投した岩瀬は14奪三振の力投を見せた。無我夢中だった。

「これほど、楽しいと感じた試合は初めてです。相手の監督さんからも『14個も三振を喫したのは十何年ぶり』とのお言葉をいただきました。さらに努力を重ねれば、自分にも(プロの世界が)見えてくるかな、と。そこで、平林先生からの言葉を思い出したんです」

 三振を量産した理由は何か。バッテリーを組む捕手の主将・小池神平(3年)は明かす。

シュート回転するように、右打者の内角をえぐってくる球があります。回転数があるので、手元でホップするように浮き上がってくる。高校1年に計測した際は2220回転/分でしたが、今はもっと伸びていると思います。打者から見て、低めはボール球かと思ってもストライクゾーンに入り、高めには思わず手が出てしまう。球威の背景には、背筋力があります。某メーカーによる全国規模の測定会でも、岩瀬はトップレベルの数字を出します。(ミットをはめる)左手? 痛いです(苦笑)。人差し指は、血マメになっています」

右腕の心を変えた一つの出会い


 アメリカ・カリフォルニア州生まれ。5歳から地元のチームに入り、ティーボールに触れた。2009年の第2回WBCは現地で日本戦を観戦した記憶があるという。年長で日本に戻った。金程小時代に在籍した金程少年野球部では主に中堅だったが、6年春の麻生区大会決勝で初登板すると、5回コールドで優勝に貢献。金程中では投手に転向も、1年時は成長痛がひどく、満足にプレーができず、エースとなった2年時はコロナ禍でほとんどの大会が中止。3年時は川崎市大会8強へ導いた。当時から130キロは出ていたという。

 高校進学に際しては私学からの誘いもあったが、あまり気が乗らなかった。「強豪校へ進学したとしても、出場する自信がありませんでした。野球にもさほど、興味があるほうではなく……。(2歳上の)兄がいる菅高校でもう1回、一緒に野球をやろうと思いました」。1年夏前には133キロを計測。「すぐにエースになれるかと思ったんですが、甘くはありませんでした」。神奈川大会から背番号19でベンチ入りも、チームは1回戦敗退、岩瀬の出場機会はなかった。2年春の県大会から救援として登板機会を得るも「チーム事情として投手がいなかった。ただ、球が速いだけでした」と、状況としては厳しかった。

平林監督[左]と右腕・岩瀬。指揮官の言葉により自信が芽生え、エースの自覚が増している[写真=田中慎一郎]


 一つの出会いが、岩瀬の心を変えた。平林監督は昨年4月から菅高に赴任し、野球部長に就任した。かつて率いた相模田名高では15年夏に4回戦進出。昨年3月までは上溝高を指揮し、他校を含めて、多くの高校球児を見てきた中で、直感めいたものがあったという。

「投げることに関しての才能が素晴らしかったんです。例えば、体育の授業などでバスケットボールを投げても、コートの端から端までの距離でも、相手に胸に投じられる。スリーポイントシュートも簡単に決まる。投げるために生まれてきた。走る姿、立ち姿にも風格がある。潜在的にも肩関節が柔らかく、可動域の広さが投球フォームにも生かされています。ただ、のんびり屋(苦笑)。自らのポテンシャルに気づいていないようでした」

 昨年5月の練習で、平林監督は「プロに行けるだけの素質があると思うんだけど……」と声をかけた。「この人、何言っているんですか? みたいな顔をしてくるんです。私としては、まずは自覚を持たせるためにも、自信をつけさせることが必要だと考えました」。岩瀬は耳を疑ったが、内心はうれしかった。

「想像もできない世界の話をされたので、パッともしませんでしたが、野球にやる気が出ました。単純かもしれませんが(苦笑)、以来、真剣に練習をするようになったんです。すると、平林先生が言ったとおりに物事が進んで……。これは、もしかして……と」

 2年夏は背番号11でメンバー入りも、7回コールド敗退した麻生高との1回戦は7回表、最後の攻撃の代走のみの出場に終わった。エースとなった昨秋は地区予選で2試合に登板も結果を残せず、県大会へ進出できなかった。成長過程であり、すぐに結果を求めるのも酷だった。冬場は初めて変化球の習得に着手。外部コーチから専門的な指導を受けた。

「手先が器用で、のみ込みが早いんです。1回の指導で自分のものにする」(平林監督)

「勝てる投手」を目指す今夏


 今春の地区予選は武相高、法政二高、川崎北高と同じ激戦ブロックに入った。菅高は3連敗。岩瀬は法政二高との初戦で完投(0対5)し、武相との第3戦は7回10失点でコールド敗退(3対10)を喫した。武相高は今春の県大会優勝校である。平林監督は補足する。

「岩瀬が先制本塁打を放ち、7回表のウチの攻撃を終え、3対5という展開でした。終盤の追い上げを期待していたところだったんですが、味方の守備の乱れもあって、7回裏に5失点で試合が終わってしまいました」

 地区予選直前の練習試合等で、チーム事情で遊撃に入ることが多く、肘に負担がかかっていたという。新3年生5人、新2年生11人という限られたメンバーであり、併用も仕方ない。4月に新入生が3人入部し、春以降は投手一本に専念し、調整を進めている。

「クジで言い訳をするのが悔しくて……。自分がコンディションを整えて、しっかりした投球をすればいいだけです。武相にリベンジしたい。次ならば、抑える自信があります」

 5月の練習試合では自己最速を143キロに更新。球速よりも、キレで勝負するタイプであり、スピードガン表示に意識はない。変化球は春の地区予選では未完成だったが、現在はスライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップと手応え十分。捕手の小池は言う。

「かなり良くなっています。どの球種でもカウント、勝負球になる。(サインではなく)勝手に投げるのだけはやめてほしい(苦笑)」

 今夏は「勝てる投手」を目指す。

「女子マネジャーを含めて3年生6人は結束力があり、岩瀬を盛り立てようという雰囲気をひしひしと感じます。意気に感じるタイプの岩瀬も、この仲間で勝ちたいと思っている。良い形で高校野球を終え、次のステージへと送り出したいと思っています」(平林監督)

 岩瀬は進路についてこう語る。

「アメリカでの生活経験があり、高校2年の途中までは、卒業後は留学を考えていました。英語を聞き取ることはできるので、洋楽の映画を見るのも好きなんです。でも、野球をやると決めた以上、今はプロしか考えていないです。育成選手でもご縁があれば、プロの世界へ行きたい。これまで経験のない上のレベルで、1日も早く技術を磨きたいです。3人きょうだい(岩瀬は次男で兄、妹がいる)で迷惑をかけている。一人で育ててくれた母親のためにも、プロへ行って恩返ししたいです」

 菅高のグラウンドは、サッカー部と共用で、遊撃手の定位置後方にはケージが並んでいる。投手が調整するブルペンに、屋根はない。かつてあった一塁側は学校側の都合で、使用できなくなった。1カ所ある三塁側のブルペンも、プレートが見えない。捕手の背後にもネットはない。限られた環境で、ベストを尽くす。すべては、気持ち次第である。岩瀬は集中力を高めて、投球練習を続けていた。

文=岡本朋祐
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