希少価値が高い大型サウスポー
198センチ左腕の東海大相模高・藤田は9月26日にプロ志望届を提出[写真=BBM]
好きなプロ野球選手はいない。
ライバルもいない。
異次元の角度。東海大相模高の198センチ左腕・
藤田琉生(3年)の生き様が見えてくる。
「長身左腕はプロに入っても、なかなか活躍できないという話を聞きます。そういった周囲からの声を、自分が覆したいんです。『左投手と言ったら藤田』という、一番の存在になりたいと思います」
過去の実績から「周囲の声」を、どう分析しているのか。
「手足が長く、正直、扱うのは難しいです。あまりケースがないですから、経験値からも教える側も大変で、言葉で伝えるのも難しいと思います。指導者のアドバイスに耳を傾けながらも、自分自身がしっかりしていかないといけない。ライバルは常に『自分』です。常日頃からの生活、練習次第ですべてが変わる。自分の気持ちに、打ち勝つ。そうすれば、能力が上がっていくと信じています」
NPBでも希少価値が高い大型サウスポー。自らの手で、成功体験を築き上げていくのだ。
ずっと尊敬してきた投手はいる。湘南クラブボーイズ、東海大相模高を通じての先輩である
中日の左腕・
小笠原慎之介である。
「中学3年の12月に1回、キャッチボールをさせていただいたことがあるんです。2、3倍もレベルが違う(苦笑)。小学校3年時に小笠原さんが甲子園で全国制覇を遂げ(2015年)、ドラフト1位で指名される姿を見てきました。『相模のエースになって日本一を遂げ、プロ野球に行く』と決めました」
父が185センチ、母が182センチの元バレーボール選手。4学年上の兄・瑞生さんは192センチ左腕として、松蔭大でプレーしている。
「その遺伝があったので、今がある」
中学時代に在籍した湘南クラブボーイズでは全国優勝を経験。「スーパー中学生」として騒がれたが、東海大相模高ではなかなか思うようにいかなかった。入学から身長が5センチ伸び、3年になって止まったという。
21年9月から母校を指揮する
原俊介監督は「彼と接する中で難しさを感じた」と明かす。
「(身長が)伸びている時期はバランスを保つのが難しく、出力も発揮しにくい。手足の末端までつかみづらい」。成長期は故障と隣り合わせで、指導と起用には慎重を期した。
一度は大学進学も視野に
元巨人の捕手である東海大相模高・原監督は藤田の「プロ志望」の経緯について語った[写真=BBM]
背番号18で初めてベンチ入りした2年秋は、横浜高との県大会準決勝で敗退(9対10)。藤田は5対5の9回裏から救援し、このイニングを無失点に抑え、タイブレークに突入した。東海大相模高は10回表に4得点。このまま逃げ切るかと思われたが、10回裏、横浜高の反撃に遭い、あと1アウトが奪えず降板。救援投手が持ちこたえられず、サヨナラ負けを喫した(記録上、藤田は5失点)。
「私の指導力不足ですが『自分が投げる一球でチームが動く』ということを理解していなかった。この試合を良い教訓として、チーム全体としても、うまく走り出しました。この夏につながったのは、間違いありません。藤田には冬の間、背番号1を着ける条件、そのために必要な信頼、裏付けとして、エースにふさわしい人間になるための話をしてきました。3年春になるにつれて(身長が)伸び切って(技術が)上がるステージに入りました」
3年春に初めて背番号1を着けた。今夏は5年ぶりの甲子園出場の原動力の一人となり、8強進出に貢献した。高校日本代表に選出され、侍ジャパンU-18代表壮行試合(対大学日本代表)では自己最速を1キロ更新する150キロを計測。今春から6キロアップさせた。U-18アジア選手権では台湾とのスー
パーラウンドで先発して5回途中無失点と、国際舞台においても潜在能力の高さを見せた。
台湾から帰国後、進路について熟考を重ねた。原監督によれば、藤田と1対1でヒザを突き合わせた後、両親を含めて話し合った。また、進学予定先であった大学とも面談したという。
「(大学に)揺らぐこともありましたが、最後は自分の決断を尊重してくれる、と。プロに行きたいという思いは変わりませんでした」
9月26日にプロ志望届を提出した。原監督は東海大相模高からドラフト1位で入団した巨人で、捕手として11年プレー。最終的には、藤田の背中を押した。なぜ、指揮官は、一度は大学進学を勧めたのか。
「私も経験しましたが、プロは甘い世界ではありません。厳しい世界です。そう考えると、大学のほうが良いかと思いましたが、先のことは分からない。一生懸命やることは、どの世界でも一緒です。ピッチャーですし、プロの世界で鍛えてもらうこともプラスになる」
原監督は野手。投手との違いをこう明かした。
「ピッチャーは道具を使わない。自分の体でやる。野手はスピード感、木製バットへの対応など、長い時間がかかります。私自身、さまざまな操作性、スキルの難しさを痛感しました。自分の体が変われば、ボールも変わる。ピッチャーは、自身の体づくりがダイレクトにかえってくるんです。一回り以上、上の先輩とプレーすることも刺激になる。時代は変わり、育成システムも進化しています。こういった選手になるという自身の姿を思い描き、目標設定を高く、日々を過ごしてほしいです」
10月24日、ドラフト会議が控える。プロ志望届を提出以降、学校にはプロ関係者が面談に訪れている。全12球団が注目する大型左腕は「まずは、ドラフトで選ばれること。ご縁をいただいた球団で頑張りたい」と語る。
未来像も明確だ。「毎年、進化しながら、先発ローテを守り続ける。日本だけ見ていては、それだけで終わってしまう。世界に名をとどろかせたい。30歳までには、海を渡りたい」。
NPBで実績を残した上で、MLBで飛躍する。ドジャース・
大谷翔平ら日本人メジャーの活躍は、高校生に夢と希望を与えている。
文=岡本朋祐