最下位とリーグ優勝に貢献?

巨人では15年ぶりの助っ人となったジョンソン
現役を引退して間を置かず就任した巨人の
長嶋茂雄監督。これは、V9という空前絶後の黄金時代を築いた打線から、その象徴的な存在でもあった「四番サード長嶋」の不在も意味していた。とはいえ、これは想定内のことだっただろう。そんな1975年。開幕を迎えた巨人は、それ以上の異変に見舞われた。
王貞治も故障で不在。つまり、最強のクリーンアップだった“ON砲”が、そろって打線から消えたのだ。そんな巨人に助っ人として登場したのが
デービー・ジョンソン。長く外国人選手に頼らなかった巨人にとっては、15年ぶりの助っ人だった。
王は故障が癒えれば復帰してくるが、長嶋監督は引退を撤回するわけにもいくまい。メジャー歴戦のジョンソンに期待されたのは「四番サード長嶋」の穴を埋めることだった。長く脚光を浴びてきた三塁に、新たにメジャーの実績をひっさげた助っ人が入るのだから、ファンが注目し、そして期待するのも自然のことだっただろう。だが、二塁の名手として鳴らしたジョンソンにとって、慣れない三塁守備は打撃にも影を落とす。13本塁打は残したものの、打率.197に終わり、巨人はチーム初の最下位に沈んだ。15年ぶりの助っ人は、「ジョン損」と揶揄され、その“戦犯”として叩かれる。
ただ、これは来るドラマの伏線だったのかもしれない。V9時代は、その強さが圧倒的すぎて、ファンも刺激が足りなくなっていたことは事実。この初の最下位は、ファンの熱狂にとって、まさに起爆剤だった。再起に懸ける長嶋監督2年目の76年は、外野手の
高田繁が三塁にコンバートされ、ジョンソンも本職の二塁に。これで打棒も完全に復活を遂げる。
ジョンソンは開幕して早々に死球禍で右手の親指を負傷して、帰国しての治療を余儀なくされるアクシデント。若い長嶋監督とも衝突した。それでも最終的には打率.275、26本塁打と前年とは別人のように打ちまくり、74打点と勝負強さも発揮。巨人も3年ぶり、長嶋監督としては初のリーグ優勝を果たした。ジョンソンはオフに退団、帰国して、メジャーに復帰。78年までプレーを続けている。
写真=BBM