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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第13回「打撃の神様の一言は『髪を切りなさい』」

 

どうですか、このファッション!球団のフロントには「ヒッピー」って言われたこともあります。知ってますか?


2人の名将の思い出


 また、編集部のマイ担当さかもっちゃんがおかしな……いや、懐かしい記事を探してきてくれました。『週べ』の1971年8月19日号で、僕は、なぜか市川瑛子さんという女優さんと対談をしているんですが、その冒頭がねえ……。

 ちょっと引用します。

市川:私、申し訳ないんですけれど、野球のことはあまり詳しくなくて……。

大島:じゃあ、帰ってもいいですよ(笑)。

 やってますね、20歳の大島!

 われながら、かなり調子に乗っています。仕方ないですよ、それが若さというもんです。

 今回は僕が若手時代に出会った、球史を代表する2人の監督との逸話です。

 1人目は入団当時の監督・水原茂さん。僕が入った69年は水原さんの就任1年目でもあります。戦前の巨人のスター選手で、監督としても戦後の巨人第2期黄金時代を築き、その後、東映でも日本一に導いた経験を持つ名将です。

 実績もあるし、優勝を期待されての監督就任だったと思いますが、巨人V9のさなかでもあり、なかなか結果が出ず、3年目の71年は思い切った世代交代で勝負をかけようとしたようです。

 水原さんには随分期待をかけていただき、打てない時期も我慢して使っていただきました。その間、いろいろと話はしたと思いますが、正直、あまり覚えていないんですよねえ……。

 はっきり覚えているのは、2年目か3年目の明石(兵庫県)キャンプで、夜中に素振り用の大広間でバットを振っていたときです。だれもいなかったんで、豆電球一つだけで薄暗くしていました。そのほうが集中できますしね。

 水原さんは、外での食事から帰ってきたんでしょう。部屋の前を通って、一言だけ、「カゼ引くなよ」と。たぶん顔は見えなかったと思うので、僕だと分かっていたかどうか知りません。そのとき以外は、ほとんど話しかけられた記憶がないんです。そのくらい雲の上の方でしたし、僕自身、グラウンドではそれだけ集中して、ガムシャラにやっていたんだと思います。当時のことは、ほとんど忘れてますからね。

 話をもう1人の名将の話に移します。それが前回一軍で颯爽デビューを飾った話の・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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