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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第29回「ヘディング事件と宇野」

 

“ヘディング”の後で頭をかかえる宇野[右]とあわてている僕


隠れた僕の好プレー


 前々回、お話ししたとおり、交通事故の後、マスコミの「大島限界説」と、トレーナーの「動体視力が落ちたら3割打てない」という発言に「負くっか!」となって、2度目の全試合出場を果たし、3割を打ったのが、1981年でした。

 この年に、ドラゴンズの監督に就任したのが近藤貞雄さんです。初めて一緒のユニフォームを着たわけではなく、長く投手コーチもされていた方ですが、それ以前は、ほとんど交流はありませんでした。どうしても投手と野手は別々になりますからね。以前書いた稲尾和久さん(西鉄の大投手で、78〜80年中日のコーチ)とも、交流は主に酒の席でした。

 今回は、この近藤さんの話をしようと思ったんですが、81年というと、あの大バカの「ヘディング事件」があった年ですよね。日本中を沸かせた事件ですし。書かないわけにはいかんでしょ!

 まあ、“大バカ”は、ほんの少しだけ、かわいそうですね。僕の後輩で出身は千葉。大島には及びませんが、ドラゴンズが誇る右のホームランバッター、宇野勝です! 84年にはホームラン王にもなっている大型ショートですが、このヘディング事件は、フジテレビの「珍プレー好プレー特集」で有名になり、結果的には、球史に残るプレーになってしまいました。テレビは、ほんと怖いですね。

 あれは・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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