前回、三振は空振りなら気にしなかった、と書きましたが、悲しそうな顔してますね……
新聞記者と冷戦状態?
前回は、ホームランキングになった1983年から一足飛びに85年10月2日、通算1000三振の話になりました。この連載は100回が目標ですから(それでいいんですよね、編集長!)、もうちょっとゆっくり進めようと思ったんですが、どうも大バカ、いや
宇野勝が絡んだ話になると、ペースが狂うんですよね。
少しだけ時計の針を戻します。思い出してみると、85年は、僕のプロ野球人生の中で、結構、きつい1年でした。83、84 年と2年連続全試合出場を果たし、2年連続30本塁打以上。84年は全試合四番に座って、チームを引っ張らなきゃという思いも少しですが、出てきました。
開幕前には、「今年は、もう一度、タイトルを狙います」って言ったらしい。あくまで“らしい”ですよ。覚えてないんだから。当時の『週刊ベースボール』にそう書いてあったから、そうなんでしょう。でも、ふくらはぎやワキ腹を痛めて調子が上がらず、6月には5年ぶりの二軍落ちもありました。
当時、僕が故障していたという記事はなかったと思います。前も書いたとおり、言い訳が嫌いだから記者には言わなかったし、そもそも夏場以降は、聞かれることもなかったですからね。
なぜか? 実は当時、ドラゴンズの選手と新聞記者が「冷戦状態」になっていたんですよ。
きっかけは・・・
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