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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第65回「みちのく一人旅と夫婦愛について」

 

名球会のブレザーをナオミさんにも着てもらいました


東北で大ゲンカ


 前回は2000安打まで、あと2安打で挑んだ東北遠征の話で終わりました。1990年ですね。ナオミさんも珍しく同行(もちろん、試合が終わるまでは別行動です)したんですが、初戦8月18日の近鉄戦(盛岡)では、野茂英雄に無安打に抑え込まれました。フォークボールは、こっちが真っすぐと思って振っても空振りになる球です。打者にはストレスがたまるんですよね。ついつい「真っすぐで勝負せんか」って思ってしまう。野茂が悪いわけじゃありませんよ。真っすぐを待っている打者に、真っすぐを投げなきゃいけないとなったら、ピッチャーはたまったもんじゃありませんからね。ただ、記録目前で、僕も普通の心境じゃなかった。

 それで、その夜です。ふだんなら後輩に声をかけて「パーッと行こうか」になるんですが、ナオミさんが来ているので、一緒に食事に行きました。そうなると、気を使ってくれるのは痛いほど分かるし、本当にありがたいんですが、「残念だったね」「次に頑張れば」とか、慰めの言葉がグサッ、グサッと来るんですよね。

 最後は、

「お前がいると心配になって打てないんだ。帰れ!」

 と言っちゃった。それで引くナオミさんじゃありません。

「人のせいにしないで!」と言い返され、大ゲンカです。お店の方々、お騒がせいたしました。

 ただ、夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、普通はケンカしても一晩寝たら、互いに気まずい雰囲気は残しながらも、なんとなく、うやむやになるものです。

 でも、ナオミさんは違う。翌朝、ほんとに帰っちゃった……。

 ここからが、ほんとの「みちのく一人旅」ですね。若い方は、この歌、知らないかな……。

 あのころからずっと「お前が俺には最後の女〜♪」なんですけどね。

 翌19日、福島での試合もヒットは出ず、10打席連続無安打になってしまいました。正直、かな〜り、イライラしていました。

 その後の試合は21日、西宮球場のオリックス戦でしたが、当然、ナオミさんはついてきません。そんな簡単に機嫌を直してくれる人ではありませんから。

 この試合も1打席目はライトフライで11打席連続ノーヒットとなった。その後、2打席目にやっと1999安打が出た。これで少し楽になりましたね。4打席目、佐藤義則(現楽天投手コーチ)からセンター前ヒットで、ついについに到達です。いやあ、長かった。ほんと、ホッとしました。

 39歳10カ月の2000安打達成は、当時の最年長記録で、要した試合数2290試合はいまも史上最多らしいですね。回り道が多かった僕らしいと思います。

 ただね、一塁ベースで花束をもらって観客席を見渡したとき、「ああ、これも俺らしいな」と思いました。ビジターでスタンドはガラガラ。家族も見てないし、ほんと、地味な感じの達成でした。

いつも仲良し?


 記録達成をナオミさんは記者からの電話で聞いたらしいですね。あとでテレビを見て拍手を送っている写真が『週べ』にも掲載されたそうですが、当然、やらせです。あの時代、西宮のオリックス─日本ハム戦をテレビ中継するわけないって!

 2000安打については、夫婦ゲンカだけじゃなく、愛の裏話があるんで、少しのろけさせてください。僕はまったく覚えてないんですが、ナオミさんは結婚するときに母親に言われて、たくさん着物を用意したらしい。

 お母さんは「プロ野球選手の奥さんになったら、正装しなきゃならない舞台がたくさんあるだろうから」って言ったらしいですね。

 ナオミさんも、それを着るのを楽しみにしていたらしいんですが、僕は最初、「お前、そんなに持っていても、優勝しない限り着る機会ないぞ」って言ったらしい。ただ、それを聞いたナオミさんが落ち込んでいたのを見て、「分かった。お前、待っとけ! いつかこの着物を全部着られるようにしてやるから!」ときっぱり言い切った……らしいです。

 結局、2000安打達成と、のちになりますが、何度かやった監督就任のパーティーで、持ってきた着物は全部着たらしいです。

 すいません、また“らしい”ばっかりの話ですが、とぼけているわけじゃなく、けっこう忘れちゃうんですよね。

 ただ、どうですか、みなさん! ええ話やないですか!

 日本の場合、2000安打で名球会入りとなるわけですが、ここでもう一つ夫婦の思い出があります。

 名球会のパーティーで夫婦でハワイに行ったとき、大杉勝男さん(東映、ヤクルトで活躍した豪快なスラッガーです。故人)に、「こんなかわいい嫁さんをもらったんだ。ちゃんと手をつないでいないと、どこかにつれていかれるぞ」って言われたんです。

 これも僕は覚えてないんですけど、それからハワイではいつもナオミさんと手をつなぐようになったみたいです。いやいや、ハワイだけじゃないですよ。家の周りで散歩するときもつないでます。僕らはラブラブですから。ねえ、ナオミさん、そうだよね。

 あれ、「ウソばっかり!」って言われちゃいました。

PROFILE
大島康徳/おおしま・やすのり●1950年10月16日生まれ。大分県出身。右投右打。中津工高からドラフト3位で69年中日入団。3年目の71年に一軍初出場の試合で本塁打を放つ。76年にはシーズン代打本塁打7本の日本記録。翌77年に打率.333、27本塁打の活躍で不動のレギュラーとなり、79年にはリーグ最多の159安打、36本塁打、リーグ3位の打率.317の大活躍。83年には36本塁打で本塁打王にも。88年に日本ハムへ移籍、90年には史上最多の2290試合を要して2000安打に到達した。94年限りで現役引退。2000年から02年まで日本ハム監督も務めた。現役通算成績2638試合、2204安打、382本塁打、1234打点、88盗塁、打率.272。

中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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