予定どおり(?)、前中後編の3回となった大島康徳さんとドラゴンズ時代のチームメート、牛島和彦さんのスペシャル対談。後編は、牛島さんのロッテへの移籍が決まった1986年オフからだ。 取材・構成=井口英規 写真=福地和男 「村田さんは、俺が球団に頼んだと言ってました」(牛島)
就任初年度、優勝に向け、ロッテで1985、86年と2年連続三冠王になった
落合博満がどうしても欲しかった
星野仙一新監督(故人)は、若き守護神・牛島をはじめ、
上川誠二、
平沼定晴、
桑田武の4人を交換要員としたトレードを決めた。
中日ファンの中では、いまなお賛否両論が分かれる世紀のトレードだ。星野監督は、翌年も大胆なトレードでチーム改革を進め、ベテランとなっていた大島もまた、
日本ハムに移籍となる。
──トレードでドラゴンズから離れたのは、牛島さんが先でしたね。86年の暮れでした。
牛島 たぶん、あのトレードが球団同士で正式に決まった日だと思うんですが、僕は大島さんとゴルフに行っていたんですよ。12球団の選手が集まったテレビ番組の企画でした。
大島 そうそう、静岡の富士の裾野のゴルフ場でね。
牛島 大島さんに「俺は運転が嫌いだから乗っけてってくれ」と言われ、一緒に行ったんですが、すでにトレードのウワサがスポーツ新聞には出ていたんですよ。正直、本当にそうなるとは思ってなかったんですが、「大島さんだったらトレードを受けますか」って聞いたことを覚えています。ゴルフが終わって名古屋の大島さんの家まで送って降ろした後、僕はヒジの治療のために、そのまま下呂温泉に向かったんですが、向こうに着いたら球団から、すぐ帰ってこいと電話があり、落合さんとのトレードを告げられました。
大島 あのときの会話は、よく覚えてる。最初は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン