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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第125回「WBC編2 イチローは超能力者だった?」

 

WBCのアジアラウンドではイチロー[中央]も苦しみました


巨人、西武おめでとう!


 時間というのは誰に対しても平等です。長く感じたり、短く感じたりはもちろんありますが、うつむいていても、顔を上げていても、1時間は1時間、1日は1日です。

 だったら、あれこれ悩み、うつむいているのはもったいない。顔をしっかり上げ、毎日起こる、いいことも悪いこともすべて前向きに、できる限り、笑顔で受け止めていけたらと思います。

 前回の締め切りのあと、いろいろなことがありました。

 球界では9月21日にジャイアンツが5年ぶりの優勝を決めました。原辰徳監督の涙が物語るように、苦しんでの優勝だったと思います。決して「強いジャイアンツ」ではありませんでした。

 それでも、幾度もあった苦しい場面を踏ん張り切って優勝にこぎ着けた原監督の采配は、お見事だったと思います(DeNA広島がだらしなかった面もありますが、それはまた機会をあらためて)。

 パ・リーグは、セの3日後、24日に西武の2連覇が決定しました。防御率4点台ですから、辻発彦監督も投手陣のやりくりは大変だったと思いますが、よくぞソフトバンクに追いつき追い越しました。

 それにしてもスゴい打線です。100打点以上が3人もいるんですからね。43本塁打の山川穂高はもちろんのこと、おかわりくん、中村剛也の復活と、森友哉の急成長が大きかったと思います。

 あの日、大島家では、テレビの前に家族がそろい、優勝の瞬間を見届けさせてもらいました。実は、うちの次男坊、なにげに西武のファンでして(特に秋山翔吾だそうです)、そして、ナオミさん(愛しの妻です)は山川のファンでして……(まさか、デ○好きだったのか?)。久しぶりに家族の心に感動をいただきました。

 では、話を前回の続き、2006年の第1回WBCに戻しましょう。すったもんだの末に、ようやくメンバーが決まり、最初の合宿は福岡ドーム(ヤフオクドーム)でした。王貞治監督の下に選手がそろい、イチロー(当時マリナーズ)も合流。マスコミもたくさん集まって、華やかな雰囲気ではありましたが、チームにはオールスターのときみたいな、ゆるい雰囲気があり・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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