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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

日本ハム新ヘッド&打撃コーチ・小笠原道大×大島康徳 スペシャル対談

 

今回は連載拡大版。大島氏が日本ハム監督時代の選手であり、退任後も意外な接点もあって付き合いが続いているガッツこと、小笠原道大が登場。古巣・日本ハムにヘッドコーチ兼打撃コーチとして復帰し、秋季キャンプを終えたばかりのところで、お時間をいただいた。
構成=井口英規 写真=榎本郁也、BBM


風貌が一番!


──大島さんが小笠原さんと最初に会ったのは、1999年オフ、日本ハムの監督になられてからですか。

大島 そう、確か最初は鎌ケ谷。監督1年目の秋季キャンプだったね。

──当時の小笠原さんの印象は。

大島 あまりものを言う感じじゃなかったので、「とっつきづらそうやな」と思った。ただ、日ごろはしゃべらんけど、しゃべりだすとけっこう饒舌(じょうぜつ)だし、感心したのが野球に取り組む姿勢。決して投げない、あきらめない。とことん突き詰めていくのがすごいなと。あとは、何より風貌! これがよかったね。

──風貌が一番ですか(笑)。

大島 野球選手も見た目は大事だからね! 侍みたいだなと思ったし、実際、そういう男だった。

──小笠原さんの大島さんの印象は。

小笠原 印象? なんだろう……。

大島 ないか! それだけ薄かったということやな(笑)。

小笠原 いろいろ聞いてはいたんですよ。あの……、ハチャメチャな人が来ると(笑)。

大島 ハハハ、ハチャメチャか。

小笠原 もちろん、そんなことはありませんでした。最初からざっくばらんに話し掛けていただきましたし、気を使ってもらったなと思います。

99年秋季キャンプ、鎌ケ谷での大島新監督あいさつ。ガッツ[背番号2]にヒゲがない!


──怖さはなかったですか。

小笠原 それはなかったですね。当時は結果が出始めたころでしたが、まだ周りが見えず、突っ走っていた部分があったので、なおさら感じなかったのではないでしょうか。

──上田利治監督の下で、「恐怖の二番打者」「バントをしない二番打者」と言われ、小笠原さんがブレークした年のオフです。豪快なフォームとフルスイングで脚光を浴びていましたが、大島さん、フォームを直そうとは。

大島 それはなかった。人とは違っていたけど、理にもかなっていたしね。それに・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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