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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム「チームが苦しいときに『俺が行く』と言えるのがエースの資質です」

 

星野仙一さんは、「ジ・エース」と言える存在でした


「まさにエース」の星野さん


 今週号は、「“エース”を考える」という特集のようなので、このコーナーでも「エース」について考えてみたいと思います。

 まず、一口に「エース」と言っても、「エースとは何ぞや?」というところがあると思うんですよね。まあやっぱり、1年間先発ローテーションを守って、勝てるピッチャーということになるんでしょうけれども、例えばチーム内での評価と、相手のバッターからの評価、さらにはファンの評価っていうのが、ズレがある場合も少なくないですから、なかなか「このときは誰がこのチームのエース」ということを決めるのは難しいときもありますね。

 そもそも、チームの現場としては、「今、この人がエース」ということを決めておかなければいけない、ということはないわけですからね。後づけで「あのときはこのピッチャーがエースだった」となることだってある。ただ現場でも、勝負事ですから、優勝を争ったり、Aクラスを争ったりする中で、チームが苦しいときが必ず出てくる。そういう、「頼む」というときに「俺が行きますよ」というものを持っているピッチャーが、エースになる資質があると思います。そこで「もう僕の今シーズンは終わりましたよ」とか言って、登板を回避するようなヤツは、たとえ数字が良くてもエースにはなれない。そこで「ヨッシャ、俺が行く」とはっきり言える投手で、そこに実績が兼ね備わったときに、「エース」という称号が得られるんじゃないでしょうか。

 僕が中日に入ったときは、エースは小川健太郎さんでした。ところが、昭和45年(1970年)に「黒い霧」で球界から去ることになった。その後出てきたのが、僕と同期ですが、大学から入った星野仙一さんでした。星野さんは、ああいう方ですから、若いころから・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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