当初、大島さんの連載は半生記として始め、実はかなり早い段階で最終回の原稿もできていました。今回は追悼連載の最終回として、それを掲載します。大島さん、いろいろありがとうございました。やっぱり大島さんがいないと寂しいです! (編集部) 大島さんと祭
最後まで読んでいただきありがとうございます。最終回になります。
祭と僕らの写真を掲載させてください。この子は人見知りせず、知らない人にもすぐ懐いてしまいます。2011年、東日本大震災のとき、僕らが出かけてしまい、一人で家にいたんで、あれ以来、少し怖がりになってしまいましたが、びっくりするくらい頭もいいんですよ。
10歳のトイプードルで、元気なオスです。出会いは、家の近くの祭り。このときナオミさんと子どもたちと、ふだん通らない道に入ったんですが、そこで偶然ペットショップを見つけ、何気なくですが、入ったらこの子がいた。最初は背中を見せていたんですが、僕らが入ったら、ふっと振り向いたんです……。
ひと目惚れです。僕と息子が、すぐメ
ロメロになっちゃった。ただ、ナオミさんはクールで、息子に「私も犬は大好きだけど、どうしても寿命が短い。別れはつらいわよ。あと、自分でしっかり面倒を見られるの。一晩考えてみて」と言ったんです。
どんなときでも、ナオミさんは僕を正しい方向に導いてくれます。大島家の男たちは、みんなナオミさんに頼りきりです。
週べの連載を始める際にあと押ししてくれたのもナオミさんです。「自分では大したことないと思っても、ほかの人にすごく役立つ話もあるかもしれない。もっと発信したほうがいい」と背中を押してくれました。本当にありがとう!
それで僕も一晩考えて、朝、ナオミさんに「名前は祭にしよう」って。飼わないなんて選択肢は最初からありませんでした。
2006年のWBC以来、プロの指導はなく、野球教室で子どもたちを指導してきましたが、これが本当に楽しい! 素晴らしい才能を持った子どもたちがたくさんいて、いつも驚きます。うれしくなります。指導者を見ていると、それを型にはめて、窮屈にさせて完成させようとしている方が多いようです。もちろん、それも一つの方法論だと思いますが、僕は、「この時点で完成させてどうするんですか! もっと伸び伸びやらせましょう」と言っています。
そのくらいの年代なら、もっと可能性を広げてあげたほうがいい。物足りなく見えるかもしれないけど、そのほうがずっと大きく伸びると思います。僕自身がそうでしたからね。やっと完成に近づいたのが43歳、プロの最終年です。こんな遅咲きの男、滅多にいないでしょ!
ナオミさんによく言うんですが、僕はすごく不器用な人間で、回り道ばかりしてきました。要領も悪いし、大金持ちになったわけでもない。だけど、それも一人の人間の生き方じゃないかなって思っています。ナオミさんには「損ばかりして」とこぼされますが、全員が要領よかったら世の中、面白くないでしょ。違いますか?
ずっと野球に興味がない、という話ばかりしてきました(※当初いつも言っていた)。たぶん、この連載を読んでくださった方なら、「では、いつ野球が好きになったか」って聞きたくなるかもしれません。「どう見ても、好きになってるじゃないですか」って……。
すいません、最後まで面倒くさい男ですが、僕はこう答えます。
「いまの自分の仕事ですからね。やっぱり好きとは言えませんよ」
これからも、ずっと野球にたずさわっていけたら幸せです。嫌いと言いながらおかしいですが、それが僕の心の底からの思いです。
最後に、いまの病気とは長い付き合いになっていますが、それも僕の人生です。“負くっか魂”で、これからもナオミさん、祭、息子たち、そして応援してくれるすべての人たちと、頑張って生きていきたいと思います。
PROFILE 大島康徳/おおしま・やすのり●1950年10月16日生まれ。大分県出身。中津工高からドラフト3位で69年
中日入団。83年には本塁打王にも。88年に
日本ハムへ移籍、90年には2000本安打に到達した。94年限りで現役引退。2000年から02年まで日本ハム監督も務めた。2021年6月30日死去。