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三浦大輔の「Hit it! If you can.」

三浦大輔コラム「ハマスタ、甲子園、ナゴヤ──思い出深い野球場の数々」

 

節目の試合はハマスタが多かったかな。2012年には150勝を達成。ホームの声援が背中を押してくれました


2球場の雰囲気


 今回は「球場特集」に合わせて、このコラムでも自分が現役時代に経験した球場の思い出を書いていきましょう。25年間の現役生活では、全国の球場でさまざまな経験をしてきました。地方球場に行けばブルペンのドアを開けるとすぐそこに売店があって試合中につまみ食いをしたり、ロッカーに畳が敷いてあって、そこで着替えたりしたことは楽しい記憶です。

 入団1年目の1992年は、今は一軍で使われなくなったナゴヤ球場、今はなき広島市民球場があった時代。両球場とも独特な雰囲気がありました。自分のデビュー戦は横浜スタジアム(92年10月7日、大洋対巨人)ですが、その前に初めて上から呼ばれて一軍に合流したのがナゴヤ球場でした。試合中はグラウンドにあるブルペンの長椅子に腰かけて待機しますが、フェンスを隔てたすぐ後ろにはお客さんが座っていてスタンドの熱気が間近で感じられました。

 広島市民球場も似たような雰囲気がありました。自分は広い球場が好きでした。理由は簡単、ホームランが打たれづらいからです。例えばナゴヤドームのような広い球場のほうが相性が良かった。でも広島市民球場は狭かったけれど、バックネットが近くホームが近く感じられたせいなのか、不思議と投げやすい場所でした。ブルペンは屋内・屋外の両方にあった。自分は屋内のほうが準備しやすかったです。というのも、試合前に“スイッチ”が入っていない状態でお客さんの前に出るのが好きじゃなかったからです。今の投手は、先発する試合前に外野でキャッチボールをしたりしますが、あれは最後までマネできなかったなぁ……。今、セ・リーグでは神宮球場のブルペンが屋外ですが、投手にとって好みが分かれるところです。

風を味方につけて


 子どものころ、よくプロ野球を観に行ったのが近鉄の日生球場でした。父親が大阪で商売していた関係で、よく行っていたんです。とにかくホームランボールが欲しくて、ライトスタンドでグラブを構えていました。当時の近鉄は、梨田さん(梨田昌孝、現楽天監督)、羽田さん(羽田耕一、元近鉄)らが活躍していました。ボールといえば、小学生のころに近鉄あやめ池(遊園地)のサイン会に行って、羽田さんのサインボールをもらって大切にしていました。

 そうした中で自分にとって特別な場所は・・・

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