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ドラフト回顧

【ドラフト回顧・1974年】山口高志は阪急、「高校四天王」の定岡正二は巨人へ

 

今年もまた、ドラフト会議が近付いてきた。1965年秋からスタートし、今年で56回目。制度をさまざまに変えながら歴史を紡いできた。ここでは2019年のドラフト会議まで、1年ごとに振り返っていく。

4番クジの巨人が定岡指名


巨人からドラフト1位指名された定岡は絶大な人気を誇った


 1974年から1球団の指名選手は6人までとし、また、獲得した選手の移籍禁止期間を「支配下選手公示の日から1年間」と定めた。

 人気面では甲子園を沸かせた4投手、銚子商高・土屋正勝、鹿児島実高・定岡正二、横浜高・永川英植、土浦日大高・工藤一彦が「高校四天王」と呼ばれ、注目された。特に定岡は、夏の甲子園での東海大相模高戦の熱投で一躍、国民的アイドルとなっていた。

 ただし、本当の目玉は、関大卒業時のプロ入りを拒否していた山口高志。松下電器ではこれといった結果を残していなかったが、その快速球が健在であることはスカウト陣の周知の事実だった。1番クジの近鉄も当然、山口と思ったが、なぜか同じ松下電器の2番手投手・福井保夫を指名。ドラフト会場がざわめいた。当時補強資金難だった近鉄が、山口を獲得した場合の高額な契約金を避けたのでは、とも言われたが、真相は分からない。

 山口は2番クジの阪急があっさり指名。入団後、1年目からフル回転し、阪急の優勝、日本一に貢献。初優勝を狙った近鉄にとっても天敵となるのだから不思議なものだ。

 4番クジの巨人は定岡を指名。長嶋茂雄が監督になって初めてのドラフトでもあった。入団後、多摩川の練習場は定岡目当ての“多摩川ギャル”で連日大変な騒ぎとなった。定岡は開花までしばらくかかったが、同期のドラフト外・西本聖(松山商高)、79年入団の江川卓(この時点では法大)とともに「先発三本柱」としてチームを支える(長嶋監督時代ではなかったが)。

【1974年ドラフト12球団1位】
近鉄 福井保夫(松下電器/投手)
阪急 山口高志(松下電器/投手)
中日 土屋正勝(銚子商高/投手)
巨人 定岡正二(鹿児島実高/投手)
大洋 根本隆(日本石油/投手)
ロッテ 菊村徳用(育英高/投手)
阪神 △古賀正明(丸善石油/投手)
ヤクルト 永川英植(横浜高/投手)
南海 長谷川勉(日産自動車/投手)
日本ハム 菅野光夫(三菱自動車川崎/内野手)
太平洋 ×田村忠義(日本鋼管福山/投手)
広島 堂園喜義(鹿児島商高/投手)
※△は入団拒否し、その後の指名でプロ入り、×は入団拒否し、その後もプロ入りせず

 ほか四天王は土屋が中日、永川がヤクルトの1位、工藤は阪神に2位で指名されている。ただ、唯一2位の工藤が4人中、最多通算66勝を挙げているから分からない。この年の2位は近鉄が左腕エースの村田辰美(三菱自動車川崎)、南海が名球会入りする新井宏昌(法大)、ヤクルトが78年の初優勝時に貢献した角富士夫(福岡第一高)となかなかの豊作だった。

写真=BBM

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