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ダンプ辻コラム

「一番おいしかったのは仙台のササニシキ!」【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】

 

札幌円山では巨人主催ゲームが毎年行われていた


危なかった札幌円山


 前回は甲子園のおいしいゲソ焼きの話をしましたが、もう少し甲子園の細かい裏側の話をしましょうか。今はもう改築しているんで、まったく違うかもしれません。あくまで僕が現役のころの話です。

 阪神の選手が馴染みだった「やっこ食堂」の前を通って関係者入り口から球場に入っていくと、すぐ左手に階段があり、上がると曲がりくねった、2人がすれ違えないくらい狭い通路がありました。すぐあったのが選手用の風呂で、その先に球団事務所、隣がお茶のおばさんの部屋、さらに監督室、コーチ室も通り過ぎると選手用のロッカーがありました。

 この左側に広いスペースがあり、バーベル、鉄アレイなどが置かれていました。記憶の中ではヒゲさん(辻佳紀)が一番重いバーベルを挙げたと思いますが、重さは覚えてません。その隣にベッドがあり、トレーナーの治療室がありました。

 う〜ん、話だけだと、だいぶ分かりにくいですね。そのうち絵を描いて説明しましょうか。

 甲子園で印象に残っている試合はたくさんあるけど、一番は昭和48年(1973年)の最終戦かな。勝てば優勝の巨人戦に0対9でボロ負けして、ゲーム後、お客さんがグラウンドにどんどん降りてきた。2時間くらい球場に缶詰めになり、最後は監督の金田(金田正泰)さんがお詫びのあいさつをして、何とか収まりました。

 では次に、甲子園から遠く離れ、北海道の球場の話をしましょう。

 僕が現役のころ一軍でよく使ったのは、札幌円山球場です。宮の森ジャンプ台の近くにあった田舎の球場でね。外野は芝生席だけど、内野はスタンドが少ししかなくて、パイプを組み合わせて内外野の切れ目まで仮設スタンドを造っていました。巨人─阪神戦となると、ぎっしりでしたし、いま考えると、けっこう危なかった。地震でもあったら一発で大事故になっていたでしょうね。

 この球場で一番覚えているのは、昭和43年7月2日の巨人戦です。江夏(江夏豊)がアウトロー(外角低め)の大事さを覚えてからの試合で、僕自身がコンビネーションを覚えた試合でもありました。相手の打ち気を読んで、振ってくるぞと思ったらボール球を投げさせ、見送ると思ったらポンと力抜いた球でストライクを取るとか、よし、ここは120%の球とかね。江夏もすごくて、全部、サインどおりに来た。ミットを動かさんでもポンポン入ってきました。1つだけライトの藤井栄治さんとセカンドの鎌田実さんがお見合いしたヒットがあったんですが、あれがなかったら間違いなくノーヒットノーランだったでしょうね。

 あの球場の楽しみは、試合が終わったあとのビール園です。20人くらいで出掛けて、ジンギスカンを食べて大騒ぎしていました。

直線道路でイライラと


 大洋でファームのコーチをやっていたときは、夏に巨人と一緒に北海道のあちこちで10試合くらいをする遠征が恒例だった。旭川ならスタルヒン球場ですね。昭和60年ごろに行ったんですが、球場の正面から入ると、昔の大投手でジャイアンツにいたスタルヒンという人の立派な銅像がありました。球場は、今は知らんけど、外野フェンスに広告がなくてきれいさっぱりでしたね。しかも、このフェンスがグラウンド側に倒れるようになっていたんですよ。大雪のとき除雪車が中に入ってこられるようにしたと言っていました。

 旭川からはいつも紋別にバス移動でしたが、途中にものすごく長い直線の道路があるんですよ。しかも周りに何もない。北海道ならではの景色ですね。あ、思い出した。このとき僕がすごくイライラしたことがあるんですよ。何だか分かりますか? 分からん? また、返事が早いな(苦笑)。答えはバスの運転です。前も後ろもまったく車がいないのに、絶対60キロ以上は出さないんですよ。何度、運転手に言ってもダメだった。「バスはすぐ怒られるんですよ」って言ってね。

 紋別には同級生のキートンこと、伊藤(伊藤勲)さんの知り合いがいて、その人に世話していただき、北海道に初めて揚がるという、おいしい毛ガニを2日間、食べまくった記憶があります。ファーム時代は試合のことは、ほとんど覚えていないけど、そういう食べ物のことばかり思い出すんですよね。

 帯広では大洋でファームコーチになったばかりのころキャンプをしたことがあります。キャンプいうても、春や秋じゃないですよ。これも昭和60年の話ですが、大洋のファームが、横浜カントリークラブにあったグラウンドから撤退し、横須賀の長浦に球場を造ることになった。その間、平塚で練習していたんですけど、どうせならとなって、夏の北海道遠征で10日ほど早めに行ってキャンプをすることになったんです。

 帯広は球場自体は普通なんですけど、近くにあった市営の多目的グラウンドがきれいで大きかった。天然芝でタテヨコが200メートルと100メートルの四角いグラウンドで、不思議なことに25メートルのベンチが4つあるんですよ。合わせたら100メートルのベンチですね。これに半分は背もたれがついていた。こういうグラウンドを見るとコーチは燃えるんですよね。1周600メートルを走らせたり、200メートル、100メートルのダッシュをさせたり、あとはベンチですね。飛び越えさせたり、背もたれに片足ずつ上げさせたりと、いろいろなことをさせました。選手はすごくきつかったと思うけど、こっちは面白かったです。

 北海道は何を食べてもおいしかったけど、僕が日本中あちこちで食べて一番おいしかったのは、宮城県の仙台に初めて行ったときに食べたササニシキです。お米がこんなおいしいんだとびっくりしました。

 大洋は仙台、盛岡で、毎年、試合があったんですが、仙台の試合で覚えているのは、ナイターだと海から幕みたいな深い霧が出て、レフトがまったく見えなくなることです。

 そうすると、いつも審判に言われ、コーチがレフトに向かってノックでフライを打ち上げるんですけど、面白いもんで、試合成立前にやると、勝ってるほうは「見える、見える。試合十分行けるよ」と言って必死に捕るんですが、負けとると「見えない。まったく見えない。これは無理」ってボールも追いかけない。あのノックは見ていて笑ったね(笑)。

 そうそう、阪神にいたときだけど、(大洋の)平松政次シュートをこの球場でヒットにしたら、「俺だけヒット多いんじゃないの」って言われたことがあったな。結構、あいつのシュートは打っていたんですよ。

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