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プロ野球20世紀・不屈の物語

野茂、清原、そして伊東……。プロ野球の危機を吹き飛ばした西武と近鉄の開幕戦/プロ野球20世紀・不屈の物語【1994年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

野茂は8回まで無安打無失点の好投


94年、西武との開幕戦で好投する近鉄・野茂


 1994年のプロ野球は、強い危機感を抱きながらの開幕だった。前年の93年に始まったのがサッカーのJリーグで、プロ野球にとっては未曽有の強敵。その人気に「野球の危機」が叫ばれていたのだ。当時は西武の黄金時代。90年からは4年連続リーグ優勝、93年の日本シリーズこそヤクルトに敗れたが、その強さが圧倒的だった時期だ。巨人のV9という不滅の黄金時代は人気の面では必ずしも黄金時代とはいえないことには触れたばかりだが、当時の西武の野球、その黄金時代にも「つまらない」という声があった。そして迎えた4月9日、近鉄との開幕戦(西武)。「つまらない」という声に逆らうかのように西武は苦しめられ、そして「野球の危機」を吹き飛ばすかのような逆転のドラマを描くことになる。

 近鉄の開幕投手は5年連続の最多勝が懸かった野茂英雄鈴木啓示監督は「野茂と心中や」と送り出し、野茂は毎回のように四球の走者を出しながらも、やはり毎回のように三振を奪っていく。8回裏を終えた時点で被安打ゼロ、無失点。野茂にとって初めて、そして開幕戦ではプロ野球で初めてのノーヒットノーランが目前に迫っていた。対する西武にとっては、黄金時代の栄光を木っ端みじんに砕くような屈辱だ。西武の開幕投手を務めた郭泰源も8回まで散発2安打、無失点の好投を続けていた。だが、9回表に近鉄は四番の石井浩郎が3ラン本塁打を放って、ついに均衡を破る。残る打者は3人だ。ただ、この開幕戦のドラマは、ファンを飽きさせることはなかった。

 先頭打者は、野茂との対決が“平成の名勝負”と呼ばれた四番の清原和博だった。この日は三振、四球、右飛。そんな清原が野茂のストレートをとらえ、西武の初安打となる二塁打で、まず野茂の快挙を阻止する。続く鈴木健は四球。石毛宏典は左飛に倒れたが、ここで代打に立ったブリューワの二ゴロは失策を呼び、一死満塁となる。打席には伊東勤。この日、3打席連続で四球を選ぶなど、西武のスタメンで唯一、三振を献上していない男だ。ここで、鈴木監督が動いた。

劇的な幕切れの後も……


逆転サヨナラ満塁弾を放った西武・伊東


 野茂は降板。マウンドにはクローザーの赤堀元之が向かった。野茂は前年、伊東に18打数7安打と苦手にしており、一方の赤堀は7打数で無安打と、数字だけ見れば、この交代は必ずしも間違っていない。だが、鈴木監督の「野茂と心中」という発言に加え、野茂の好投もあり、赤堀は登板の準備をしていなかった。伊東は2ボール2ストライクからのスライダーを左翼ポール際へと運ぶ。この日、用意されていた開幕戦でのプロ野球で初めての快挙は、野茂のノーヒットノーランではなく、伊東のサヨナラ満塁本塁打だった。さらに、これで伊東は通算1000安打に到達。もし、これがフィクションなら「リアリティーがない」などと批判されそうな、劇的な開幕戦だった。

 試合は終わったが、ドラマは続く。快挙の主役から一転、悲運の降板となった野茂は、その後は5連勝もあったが、肩痛もあって最終的には8勝で閉幕。オフに近鉄との交渉が決裂し、メジャーへと挑戦することになる。ドジャースへの入団を果たした野茂がノーヒットノーランを達成するのは2年目の96年。その後、プロ野球は多くの選手がメジャーを目指す時代に突入していく。この94年の開幕戦は、プロ野球の歴史における転換点のひとつだったのかもしれない。

 Jリーグ以上の“未曽有の強敵”と戦っているかのような、この2020年。開幕戦で劇的なドラマがあれば至高のことだが、まずはプロ野球が開幕するという当たり前の幸せを噛みしめたいものだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM


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