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広島・ピレラが爆発! 過去に開幕一番を担った新外国人に誰がいる?

 


 開幕に先駆けて行われた練習試合で注目を集めたのが、広島の新外国人ホセ・ピレラだ。7試合連続安打と好調で、6月19日、DeNAとの開幕戦(横浜)では助っ人外国人では球団史上2人目となる「開幕一番打者」に起用された。この一戦、ピレラは初回に右前打を放つと5回には1対1の同点に追いつき、さらに一死一塁で打席に入ると左前打。三番・西川龍馬の勝ち越し打を演出した。9回には来日初アーチとなるソロ本塁打を左中間席へたたき込むなど5打数3安打1打点と爆発。5対1の開幕戦勝利に貢献した。

 西武でも新外国人のスパンジェンバーグが「一番・左翼」でスタメン出場。4回に先制点につながるチーム初安打を放つなど躍動してチームを勝利に導いた。斬り込み隊長として新外国人が輝きを見せたが、それでは、1年目の助っ人外国人がいきなり開幕一番を担ったケースは過去に何度あったのだろうか?

加入1年目で開幕一番を担ったのは15人


 2リーグ制となった1950年から2019年までの期間で、開幕一番打者を担った助っ人外国人選手は32人。このうち、加入1年目でいきなり開幕一番を任されたのは以下の15人だ。
※開幕一番打者を担った助っ人外国人選手の数は、前後期制のシーズンは前期1試合目の一番打者をカウント、陽岱鋼などドラフトで入団した外国籍選手は除いた数字

与儀眞助(阪神)1953年
ロベルト・バルボン(阪急)1955年
ジャック・ラドラ(東映)1958年
ジム・バビー中日)1970年
デーブ・ヒルトンヤクルト)1978年

ジョン・スコット(ヤクルト)1979年
ジャック・マルーフ(西武)1979年
サム・パラーゾ(ヤクルト)1980年
ポール・デード(阪神)1981年
ダン・グラッデン巨人)1994年

ダネル・コールズ(中日)1996年
李鍾範(中日)1998年
ホセ・マシーアス日本ハム)2006年
マット・マートン(阪神)2010年
エステバン・ヘルマン(西武)2012年

 この中で開幕一番という大抜擢に応えた選手は、まず大阪の与儀眞助だ。ハワイ出身の与儀は、ハワイ・レッドソックスを経て1953年に阪神に入団。その年は開幕一番を任され130試合に出場し、ベストナインに選ばれる活躍を見せた。阪急のロベルト・バルボンも141試合に出場し、打率.280、49盗塁と目覚ましい活躍を残した。バルボンはその後10シーズンにわたりチームに貢献し、引退後も阪急・オリックスの通訳や名誉顧問を務めている。

 1958年に東映の開幕一番を任されたジャック・ラドラは、マイナー経験もないアマチュア選手だったが、加入1年目はチーム最多本塁打と打点を記録。オールスターにも出場した。ヤクルトのデーブ・ヒルトンはテスト入団ながら打率.317と首位打者争いを繰り広げる活躍を見せ、チーム初のリーグ優勝に貢献。翌1979年に加入したジョン・スコットも、シーズン28本塁打とチームの期待に応えた助っ人だ。

阪神・マートン


 最も活躍した選手はやはり阪神のマット・マートンだ。加入1年目はオープン戦から好調で公式戦では当時のNPB新記録であるシーズン214安打(外国人選手としては歴代最多)を記録。首位打者のタイトルは逃したが、打率.349と驚異的な活躍を見せた。その後もチームの中心選手としてプレーし、首位打者(2014年)や通算3度の最多安打のタイトルを獲得した。

 一方で思ったような活躍ができなかった選手も少なくない。例えば1994年の開幕一番を担った巨人のダン・グラッデン。メジャーでワールド・シリーズ制覇に貢献し、「攻守走三拍子そろった選手」として高く評価されたが、98試合の出場で打率.267と思ったほどの活躍ができず。乱闘など問題も多かったため1年で解雇となった。中日の李鍾範も同じく攻守走そろった選手で「韓国のイチロー」と評されていたが、失策が多く1年目はわずか67試合の出場に終わった。

 開幕一番はある程度「場慣れ」している日本人選手でもプレッシャーに負けそうになるほど責任あるポジション。加入1年目の助っ人が任された場合の重圧は相当なものだろう。プレッシャーをはねのけ、チームの期待に応えたピレラとスパンジェンバーグ。今後も一番として真価を発揮できるかに注目だ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM


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