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震災10年「3.11」をずっと忘れない。

嶋基宏インタビュー プロ野球選手の役割「野球をやってていいのかなっていう思いは、ずっとありました」

 

今はヤクルトに移籍しているが、東北を支えたい思いは不変だ。当時、楽天の選手会長として球界の思いを代弁した男が、あらためて、あのころを語る。
構成=依田真衣子 写真=湯浅芳昭、BBM

被災地の方の思いも背負って、日々練習に励んでいる嶋


野球をやっていいのか


 毎年、3月11日が近づくたび、その思いはより強くなる。今も忘れられない、10年前のシーズン。「本当に野球をやっていていいのか」。迷いながら、グラウンドに立ち続けた日々──。当時楽天の選手会長として、日本中を涙させ、そして勇気づけたスピーチを行った嶋基宏が、10年前を振り返った。



 東日本大震災が発生した2011年3月11日午後2時46分、楽天は兵庫県の明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦を戦っていた。直接揺れの影響はなかったが、地震発生の情報を確認した米田純球団代表(当時)が審判団の許可を取り、選手および球団スタッフらが仙台に残してきた家族と連絡を取るため、試合は打ち切られた。嶋が「震災直後は、家族とも連絡が取れない選手や裏方さん、球団スタッフの方もいました」と話すとおり、確認作業はその日の深夜まで続き、家族や球団職員、仙台に残留していた選手、コーチ全員の安全が確認された。

 震災直後、交通網の乱れから、楽天は仙台に戻ることができなかった。ほっともっとフィールド神戸などを間借りしながら、開幕に向けて練習、オープン戦を行った。選手らはその合間を縫って、街頭で義援金を募るなど、被災地のために必死に動いていた。だが、常に不安と迷いがつきまとっていたという。

「野球をやってていいのかなっていう気持ちは、正直ありましたね。ダメなんですけど、練習していても身が入らなかったですし。本当に、何て言うのかな……。苦しんでいる人がいて、しかも仙台の球団で。仙台の方々が、東北の方々が苦しんでいるのに、僕たちが野球をやっていていいのかなっていう思いは、ずっとありました」

 嶋は4月2日、日本ハムとの復興支援チャリティーマッチ(札幌ドーム)で、スピーチをすることになるのだが、この時点で、一度も帰仙できていない。現場を見ていない、東北の球団の選手会長──。複雑な心境だったが、東北の人々、そしてチームメートへの思いから、必死に言葉を紡いだ。

「当時は星野(星野仙一)監督だったんですけど、スピーチをしたときは、まだ仙台にも帰っていないし、自分たちの目で見ていないことなので、それまでマスコミの方に、今の気持ちとか、そういうのをあまり話さないでほしいというのを言われていたんです。だから、選手の思いや考えを伝えられる場面が少なかったので、それを伝えられたらいいなと思って」

 ともに頑張ろう、東北!
 支え合おう、日本!

 嶋の熱い思いと言葉は、日本中を涙させた。

「頑張れというよりも、一緒に頑張ろうという思い。それは、今も同じですね」

 楽天からヤクルトに移った現在も、13年間を過ごした東北の地への思いは少しも変わらない。

東北のファンの温かさ


2011年、沢村賞を受賞した田中[右]を巧みにリードした。かつての同僚の日本球界復帰は、もちろん歓迎している


 楽天が仙台に戻れたのは、4月7日。震災から約1カ月が経過してからだった。そこで初めて、被災地の惨状を目の当たりにする。選手たちは翌8日には各地の避難所を訪れ、「遅くなって申し訳ありません」と頭を下げた。

「そのときは飛行機で帰ってきたんです。確か、山形空港に着いたのかな。そこから高速道路でグルッと回って、仙台空港のほうから帰ったんですけど、何もなかったというか……。あったところに家がなかったりとか……。避難所を訪問したときも、僕は東松島に行かせてもらったんですけど、本来なら車で30分もあれば着くところなのに、高速道路が使えなくて、2時間くらいかかったと思います。行く途中も、道の両端にがれきや、海から流れてきたゴミがあって、ずっと砂埃ぼこりみたいなのが舞っていて……。そういう景色を初めて見て、言葉が出ませんでした。ただ、車中から見ているだけで」

 そんな状況を目にしたことで、嶋の胸の中で「本当に野球をしていていいのか」という思いはさらに強くなっていった。

 震災の影響は、球界のさまざまな部分に及んだ。ロッテ本拠地のQVCマリン(現ZOZOマリン)に液状化現象が発生。復旧工事を要し、さらには東日本地区の電力不足問題などもあり、パ・リーグは3月25日だった開幕の延期を決定した。当初は予定どおりの開催を発表していたセ・リーグも、世論の反発や選手会の要望もあり、4月12日にセ・パ両リーグが同時開幕となった。

 楽天はロッテとの開幕戦(QVCマリン)を、岩隈久志の好投、嶋が7回に放った勝ち越しの3ランで制した。「東北のファンのために、勝たなければならない」。選手、関係者の誰もが、そう胸に強く刻んでいた。

 東北のファンの前で試合ができるようになったのは、4月29日。本拠地のKスタ宮城が震災の影響で一部損壊し、兵庫県の甲子園などで主催試合を行わざるを得なかったのだ。ようやく仙台での“開幕戦”を迎えられた日、ファンの姿が、選手会長・嶋の迷いを晴らしてくれた。

「正直、お客さんは入らないだろうと思っていたんです。ああいう状況ですし、野球を見ることよりも、自分たちが生活していくほうが大変。なのに、開門前から列ができて、超満員になって……。そのころから、逆に、苦しんでいる方々や、なかなか普通の生活に戻れない方々を、野球をやって勇気づけたいな、と思い始めました。みんなもそれを待ってるんじゃないのかなっていうのを、ホームの開幕戦で感じたんです」

 4月は9勝6敗とまずまずのスタートを切る。1995年、阪神・淡路大震災の年にオリックスが「がんばろう神戸」のスローガンの下、優勝を果たしたように、東北復興の旗印として、楽天も球団初のリーグ優勝へ、機運は高まった。

 しかし、現実は甘いものではない。5月以降に急失速。9月中旬以降は5位に沈み、そのままシーズンを終えた。田中将大が最優秀防御率、最多勝利、最高勝率のタイトルを獲得し、沢村賞に輝く活躍を見せたのが、唯一の光明だった。

 嶋自身、震災でコンディションが不十分なまま開幕を迎えたこともあり、心身ともに消耗していた。84キロを維持していた体重は80キロを切り、円形脱毛症ができた。10年に打率.315をマークしたが、このシーズンは.224まで落ち込んだ。11年のシーズン終了後、嶋は自分のスピーチになぞらえて「今年は底力を見せることができなかった」と悔しそうに話していた。

 嶋の「野球で東北を勇気づける」という決意は、震災から2年後、花開く。13年、嶋は田中とともにチームをけん引。チーム一丸となり、楽天は球団史上初のリーグ優勝、日本一を手にした。東北が歓喜で包まれ、楽天ナインは間違いなく、被災地の光となった。

ヒーローの復帰に思う


 震災から10年。頂点に輝いたシーズンから8年。「もう、あっという間に10年過ぎてしまったなっていう思いもありますし、今はニュースでやることも少ないんですけど、風化させてはいけないという思いでいます」。10年がたった今でも、復興途上の地域はある。

 そんな東北を後押しするかのように、今季、田中が楽天に復帰する。嶋はヤクルトに移っているが、「田中が帰ってくることで、東北もさらに元気になると思います」とコメントを寄せた。かつてのエースの復帰が、東北復興の追い風になると確信している。

「今、コロナ禍でなかなかお客さんが入れなくなったりしている中、田中が帰ってきたことで、またみんなが野球を見たり球場に足を運んだりしてくれれば、日本を元気づけることにもなるのかな、と。僕の予想ですが、ケガなく普通にやれば結果は残すと思いますし、田中はそういうプレッシャーにも必ず打ち勝つ男です。リーグは違うのでテレビで見ることのほうが多いと思いますが、僕も楽しみにしています。いつか対戦したいし、ボールも受けたいですね」

 間近で見てきたからこそ分かる、“東北のヒーロー”の底力。

「東北の方は、いつか田中は帰ってきてくれると信じてたんじゃないかな。彼なら、必ずやってくれると思います」

 嶋もまた、田中の力を信じる一人だ。

 もちろん嶋も、東北復興のために力を尽くすことに変わりはない。昨オフはコロナ禍の影響で難しかったが「野球教室なども、被災地のほうでやってみたいと思いますし、自分が足を運んで、野球以外のことにもいろいろチャレンジできたら」と支援を惜しまないつもりだ。

 あらためて震災からの10年間を思い返し、嶋は言った。

「10年たって(被災地が)元の姿に戻っていても、やはり家族などを亡くした方の心の傷というのは、癒えないと思うんです。けれど、僕たちの野球を見て『ああ、今日野球を見て良かったな』って少しでも思える瞬間を感じてもらえたらと思いますし、そうやって前向きに生きていくための力に、野球がなれればいいなと思います。僕もこの歳(36歳)まで来たら、野球人生は残り長くないと思うんですけど、そういう方たちの思いも背負って、1日1日、全力で頑張りたいと思います」

 これまでも、そして、これからも──。プロ野球選手として、役割を全うする。


PROFILE
しま・もとひろ●1984年12月13日生まれ。岐阜県出身。179cm84kg。右投右打。中京大中京高から国学院大を経て、2007年に大学生・社会人ドラフト3巡目で楽天入団。1年目から出番をつかみ、13年には球団初の日本一に貢献。20年よりヤクルト。通算1422試合、934安打、26本塁打、315打点、50盗塁、打率.240。

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