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BBB(BAY BLUE BLUES) -in progress-

悔いのない1打席を――楠本泰史の清々しい覚悟/BBB(BAY BLUE BLUES) -in progress-

 


 8月26日の京セラドーム、ベイスターズはタイガースを相手に劣勢を強いられていた。9回表を迎えた時点で2-9。だから、代打として送り出された楠本泰史が放ったヒットは、試合の行方に大きな影響をもたらす一打ではなかったかもしれない。

 ただ、打った本人はたしかな進歩を実感していた。

 打席を迎えるにあたり、楠本の頭には直近のタイガース戦の記憶が蘇っていた。同17日の試合では四球を選び、同24日には2安打。その3打席とも、後方でミットを構えていたのは梅野隆太郎で、直球は1球も来なかった。

「1球、犠牲にしてまでも、ちょっと様子を伺いたいな、と」

 ファーストストライクを積極的に振るという代打の鉄則を破ってまで見極めに徹すると、バッテリーはやはりスライダーから入ってきた。

 その判断が正しかったかどうかはわからない。2球目のスライダーを空振りして追い込まれ、食らいつくしかなくなった。3球目、ようやく来た直球を弾き返して、センター前へのポテンヒット。それでも、結果よりプロセスに価値があったと感じている。

「去年までは、とにかく必死に『ヒットを打ちたい』『アウトになりたくない』という気持ちだけが先走っていた。いまは、相手バッテリーと読み合いをしながら、代打の1打席で勝負できている感覚があります。打ちたい気持ちは強く持っているけど、頭の中では冷静に駆け引きができている」


これがいまの自分の立場……。


 楠本にとって4年目に当たる2021年シーズンは、強烈な悔しさとともにスタートした。

 昨オフ、外野手のレギュラーだった梶谷隆幸が移籍。空いた穴をめぐる争いに勝とうと燃えていた。「春季キャンプ初日から首脳陣にアピールする」。そのつもりで備えていた。

 ところが、キャンプの一軍メンバーに自らの名前はなかった。楠本は言う。

「これがいまの自分の立場……ぼくはここから這い上がっていかないといけないんだと痛感した瞬間でした。この悔しさを、1年間、絶対に持ち続けてやりきらないといけない。そう心に決めました」

 明示されたチーム内での序列を覆すには、選手としてレベルアップし、結果を残すしかない。次のチャンスがめぐってきたときのために「自分にできることを全力でやっておこう」と、沖縄での日々を過ごした。

 オープン戦で一軍に呼ばれ「結果を出さなきゃいけないと腹をくくっていた」が、2試合計5打席という少ない機会を生かしきれなかった。「レギュラーを獲るという競争に負けたのは事実」。結局、ファームでペナントレースの開幕を迎えた。

 どうすれば一軍に居続けられるか。問いの答えは明確だ。「代打で結果を残し続けるしかない」。

 コーチと相談のうえ、ファームの試合にスタメンで出場するときも、全打席、代打のつもりでバットを構えた。代打経験の豊富な下園辰哉ファーム打撃コーチらに意見を求め、「技術よりも頭の部分」の改革に取り組んだ。


結果は打球に聞いてくれ。


 変化はあった。楠本が言う。

「去年までは、打ちたい気持ちが強すぎて、相手バッテリーの手玉にとられているような印象が自分でもありました。今年は腹をくくって打席に立とう、と。もう後悔はないと思えるくらい練習をして、打席に立って、『結果は打球に聞いてくれ』という割り切りがあります。そう考えるようになってから、打席に入るときの心の部分は楽になった」

 開幕から2カ月ほどが経過した5月28日、ついに一軍に呼ばれた。

「このチャンスを逃したら、ぼくはもう一軍に呼ばれることはないかもしれない。ダメだったら、来年はもう野球をやっていないかもしれない」

 ドラフト8位入団、大卒4年目の選手のリアルな声だ。ただ、その覚悟は、自身を袋小路に追い込むものではなかった。

「『これだけやってダメだったらしょうがない』と思えるぐらい、やりきったうえで打席に立とうと思っていました。それだけの準備はしてきたつもりだったので」

 結果は打球に聞いてくれ。

 これだけやってダメだったらしょうがない。

 代打の打席に臨む心構えと、一軍へと合流する際の達観は共通して清々しい。それは、裏づけがあってこそ生まれる。楠本は言った。

「自分が納得して終われるかどうかがいちばん大事だと気づきました。その裏づけになるのは準備。自分で時間や場所を見つけてできることです。必ず自分が決めたことはやり終えてから、練習場なりスタジアムなりをあとにする。(一軍合流の際)それだけのことをやってきたという思いは強くありました」


思い描いたとおりの内野安打。


 五輪開催に伴う中断期間に入るまでは打率.222に留まったが、中断期間中のエキシビションマッチで20打数9安打とアピールに成功した。一軍での居場所を死守して、後半戦を迎えることができた。

 そうして打席を重ねながら、記事冒頭に記したような成長の感触を得ている。

 代打出場から2安打を放った8月24日のタイガース戦でも、ポジティブに振り返られるシーンがあった。

 7回表の第1打席、1アウト一二塁の場面。打席に入る前に守備陣形が目に入った。

「セカンドはゲッツー態勢(二塁寄り)で、一二塁間が空いていた。ファーストの守備範囲もそれほど広くはない。そこまで見る余裕があったんです。そっちにゴロを打てば、いい当たりではなくてもヒットになりそう。だったら初球、引っ張れるような球を待とう、と」

 初球のシンカーにバットを当てた。会心の当たりではなかったが、打球は一二塁間へ。二塁手の木浪聖也はダイビングで捕球するのが精いっぱいで、「自分が考えていたような」内野安打が生まれた。

 結果をほしがるあまり空回りしていた過去の自分とは違う。冷静さ、視野の広さ。打席の数は少ないけれど、一つひとつの内容が間違いなくよくなっている。

 楠本は言う。

「代打からレギュラーになった佐野(恵太)さんの姿をずっと間近で見てきました。簡単にポンとポジションを与えられる人なんて、本当に少ない。誰もが、少ないチャンスをつかみ取って上に上がっていくんだと思うし、そこを乗り越えていかないとレギュラーにはたどり着けないと思います。いま、自分に求められているのは、代打での結果。腹をくくって、その1打席を悔いのない1打席にしたい。自分もそうだったように、ファームの人は立ちたくても立てない1打席なので」


「責任を持って打席に」


 最後の言葉を口にしながら、頭にはある選手の顔が浮かんでいた。

 伊藤裕季也だ。大卒3年目、楠本の1つ年下。将来性を期待されながら、ファームで過ごす時間が長くなっている。

 楠本が明かす。

「裕季也とはファームでずっといっしょに練習をしてきました。みんなが帰ったあとも、2人でバットを持って外に出たり。ああでもない、こうでもないとよく話しました。ファームのほとんどの選手は、ぼくらより3つも4つも5つも年下。自分と裕季也が2人のときは、自分らが置かれている立場、危機感についてお互いに感じ取っていたし、『このままだと長くはない』って口にしていたこともあります」

 エキシビションマッチで一軍に合流した伊藤裕が好結果を出したとき、楠本は自分のことのように喜んだ。ほかに誰もいないロッカーで秘かにグータッチを交わした。伊藤裕もまた、先に一軍に呼ばれた楠本の活躍を画面越しに見ては「こっちまでうれしくなった」と連絡を入れていた。

 エキシビションマッチでのアピールが実って、伊藤裕は後半戦の開始と同時に今シーズン初の一軍昇格をつかみ取る。だが、励まし合ってきた2人がともに一軍にいられた時間は短かった。

 8月23日、伊藤裕はファームへ。楠本に、こう言い残した。

「腐らずに、またやってきます」

 楠本は、こう返した。

「裕季也が一軍に帰ってくるまで、おれは何としてもしがみついてるから」


 だから――一軍の1打席の重みがわかる。ファームの選手が、立ちたくても立てない打席の重みが。

「うまくいく、いかないは別にして、責任を持って打席に立ちたいと思います。どんな試合状況だろうと、どれだけ点差があろうと、その部分だけは絶対におろそかにしてはいけない。周りの人を心配するほどの余裕はないので、ぼくは自分の置かれている立場で一生懸命やるしかありません。何としても、最後まで食らいつきたいなという思いでいます」

 貴重な打席に、そのひと振りに、背番号37は心血を注ぐ。

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写真=横浜DeNAベイスターズ

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