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BBB(BAY BLUE BLUES) -in progre

異国の地で見せた“変貌”――情熱の右腕、F.ロメロ/BBB(BAY BLUE BLUES) -in progress-

 


 F.ロメロは、打席に立つN.ソトに視線を送りながら、未来をうっすら予感していた。

「あの試合、ソトは『今日はすごく感覚がいい』とベンチで話していたんだ。打席での姿からも、甘いボールを狙っているのが感じられた。だから、やってくれるんじゃないかって思っていたよ」

 10月7日、横浜スタジアムでのタイガース戦は、ベイスターズの1点ビハインドで試合終盤に突入した。8回裏、1アウト二塁のチャンスでソトが打席へ。その6球目、外寄りのツーシームに対してスムーズにバットは出た。

 打球がスコアボード下の青い壁面に当たる瞬間を見届けて、一塁側ベンチにいた選手たちは一斉に右拳を掲げた。この試合の先発投手だったロメロも、同じポーズで歓喜の情景に溶け込んでいた。

「あのときはチーム、そしてファンが一体になった瞬間だったね。ぼくも、心からうれしかった」


「自分にとっても例のない一年」


 ドミニカ共和国で生まれ育ったロメロは、アマチュア選手だった父の背中を追うように、少年時代から白球に親しんだ。若くして才能を見いだされ、MLBミネソタ・ツインズ傘下のマイナーチームでキャリアを積んだ。

 2018年、23歳のときにメジャーの舞台を踏む。11試合に先発し、初登板初勝利を含む3勝(3敗)をマーク。翌2019年は、リリーフとして15試合に登板した。

 だが、2020年は一転、苦境に立たされた。就労ビザを取得できない問題に直面し、アメリカでプレーすることができなかったのだ。ロメロは振り返る。

「去年は、自分にとっても例のない一年だった。自分なりにトレーニングを続けてはいたけど、プロの打者に対して投げる機会がまったくなかったからね」

 秋以降、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のチームに一時的に加わったり、ドミニカのウィンターリーグに参加するなどして、実戦感覚を少しでも取り戻そうと努めた。7月に長男が生まれたばかり。「子どものためにもがんばらなくては」と、父の自覚も芽生えた。

 そうした折、ベイスターズから獲得の打診を受けた。

「オファーをもらえたこと、また野球ができる機会を与えてもらえたことが率直にうれしかったし、提示された条件も納得のいくものだった。日本の野球については、もちろん経験がないから、どういうスタイル・文化なのかはわからなかったけど、球団の担当者と何度かにわたって話をさせてもらうなかで、ベイスターズはすごくいいチームだなって感じていたよ」

 26歳の誕生日に当たる2020年12月24日、ロメロのベイスターズ入りが正式に発表された。

 コロナ禍の影響を受け、当初の予定どおりとはいかなかったが、3月下旬にようやく来日を果たした。


異文化を苦としなかった。


 新たに始まった異国での日々。最も驚かされたのは、日本人の規律正しさだという。

「それに加えて、他者を敬う文化だね。思うように外出できない状況なのでチーム内のことしかわからないけど、ベイスターズは選手・コーチ・スタッフみんながリスペクトし合っているチーム。それはすごくいいことだと感じるからこそ、ぼく自身もみんなにリスペクトを持って接している。コロナが落ち着いたら、いろんな場所に出かけて、日本のいいところをもっと知りたい」

 異文化の環境に飛び込みながら、それを苦としなかった。ロメロをサポートする通訳の飯澤龍太は言う。

「『いや、それはちょっと』みたいなことは言わず、『やってみよう』という気持ちを最初から持っていました。日本人の選手たちにも積極的にからんでいって、じゃれ合っていましたよ」


 ロメロは自身を「冗談が好きな、明るい性格」と表す。周囲を笑わせ、元気を与えるキャラクターだ。

 だが、5月に一軍に昇格してからしばらくの間、マウンドでの表情はやや固かった。「深く考えすぎないように、常にポジティブに」と自分に言い聞かせながらも、当時を振り返れば「結果を求めすぎて、焦っているところがあった」。

 日本でのデビュー戦となった5月8日のタイガース戦は、5回4失点で負け投手に。2戦目以降は4回もたずに降板する試合が続いた。

 苦戦した要因について、ロメロは言う。

「去年、プロの打者に投げる機会がほとんどなかったし、日本でのプレー経験もなかった。アメリカでは打者は長打を狙ってくるけど、日本の打者はカウントに関係なくコンパクトなスイングで、バットをボールに当てに来ることが多い。そういう違いに苦しんだところはあった」

 5月27日のバファローズ戦、3回6失点でマウンドを降りたロメロは、翌28日、出場選手登録を抹消された。


習得した新たな武器。


 ファーム降格を告げられたとき、ロメロは淡々とそれを受け入れた。不服そうな表情も、気落ちした様子も、少なくとも外に見せることはなかった。

 むしろファームにおいてこそ、ドミニカンのポジティブさは表出することとなる。ロメロは言う。

「大家(友和)コーチから、ストライク先行で組み立てること、それからカットボールとスプリットチェンジを教わった。それが、後半戦のいい結果につながっているんだと思う」

 元はと言えば、新しい2球種のアイディアを提示したのは三浦大輔監督だった。もっと有利にピッチングを進められるようになる――その案を、ファームで大家コーチとともに具現化していったのだ。

 また、E.エスコバーからもチェンジアップを投げることを勧められていた。

 もともとの持ち味である、速度のある直球とツーシーム。そこに、逆方向に変化するカットボールと、緩急差の大きいチェンジアップが加わったことで、ロメロの投球の幅は大きく広がった。さらに、日本の環境に慣れたことや精力的なトレーニングによって、フィジカルコンディションが向上。日本の打者を翻弄する準備が整っていった。

 通訳の飯澤は、ロメロがファームで調整している間も付き添った。その時期に感じたのは、彼の野球に対する強い情熱だったという。

「たとえば『今日は80球メドで』という設定でファームの試合に登板したとき、その球数が近づいてきているのに『もっと投げたいんだ』という話をして、コーチから『次もあるから』と止められることがありました。いざ試合が始まると、やっぱり勝ちたい思いが強くなるんだと思います。味方を鼓舞する大きな声を出したり。本当に熱い気持ちを持っているし、野球が好きなんだなって」


「いちばんは気持ちの問題」


 一軍再昇格後、ファームでの取り組みの成果は如実に出る。イニング数が伸び、失点は減った。なかなか勝ち星に恵まれなかったが、それも時間の問題だった。9月4日のドラゴンズ戦で6回を投げて1失点に抑え、来日初勝利をつかむと、以降5戦で4勝負けなし。9月20日には、ドラゴンズ相手に完封勝利も飾った。

 ロメロは言う。

「自分の投球スタイルが確立できて、投げたいように投げられるようになってきた。木塚(敦志)コーチにもすごく助けてもらっている。試合中は興奮してしまうときもあるけど、『落ち着いて。一人ひとりしっかりと抑えていこう』と声をかけてくれるんだ。その言葉ですごく集中できる」

 来日当初と現在との変化を問われると、こう答えた。

「いちばんは気持ちの問題だね。ゆとりができた」

 4勝目を挙げた10月7日のタイガース戦も、精神的な余裕を感じさせる内容だった。3回、大山悠輔の本塁打などで3失点。それでも崩れることなく、淡々とイニングをこなしていった。

「あのホームラン、打たれたのはカットボールだった。もっと外に投げるつもりが真ん中に入ってしまって、失投を捉えられた。ただ、それも野球をしているうえで起こり得ることの一部。すぐに切り替えることができたよ」

 ロメロの力投は、8回に飛び出したソトの逆転2ランによって報われた。まだ103球だったこともあり、最終回まで投げたい気持ちはあったようだが、クロージングはエスコバーに託した。


 スペイン語を母語とする仲間たちの助けも得ながら、いまロメロはのびのびと野球をしている。

「すごく充実しているし、それだけではなく体のコンディションもいい。後半戦から続けてきた投球内容を、同じように最後まで続けたいと思う。そしてチームの全員がケガをすることなく、いい状態で終われるように。少しでもいい順位で終われるように、がんばっていきたい」

 ひまわりのような明るさを持つ右腕はまだ26歳。新天地の養分を吸収し、もっともっと大きく咲く可能性を秘めている。


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写真=横浜DeNAベイスターズ

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