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岩田稔『消えそうで消えないペン』

引退決断のとき、元阪神・岩田稔を救った言葉<連載第4回>

 

猛虎一筋16年、2021年シーズンをもって引退した岩田稔(現阪神CA、株式会社 Family Design M代表取締役社長)のあがき抜いた最後の数年。戦力外通告を受け止め、セカンドキャリアを見つけるまでの葛藤と信念とは。引退後初の自著『消えそうで消えないペン 1型糖尿病と共に生き、投げ切ったからこそ伝えたいこと』(ベースボール・マガジン社刊)より一部抜粋してご紹介する(全6回の4回目)。

ついに戦力外通告


16年間の現役生活を終え、最後は笑顔でファンに別れを告げた岩田


 球団の方からかしこまった連絡をいただいたのは、確か2021年の9月26日のことです。妻の美佳と2人、自宅の近所まで弁当を買いに出かけた帰りだったと思います。

「今、大丈夫かな」

 滅多にかかってこない編成スタッフからの電話でした。

 車内にいたのでハンズフリーにして耳を澄ませると、いつもとは明らかに違う真面目な声色が響きます。

「明日のこの時間、スーツを着てホテルまで来てくれないか」

 僕も、横に座っていた美佳も、一瞬でどういう意味なのか理解できました。

「ついに来たな」

「来たね」

 球団の来季戦力構想から外れたことを伝えられるのだと、すぐに2人とも悟ったのです。

 意外なことに、妻はショックを受けるどころか、どこか喜んでいるようにさえ映りました。おそらくですが、モチベーションが上がらず苦しみ続けている夫に1年間寄り添って、美佳は美佳で相当に苦労していたのだと思います。

 僕自身、球団の方から連絡をいただいたときは正直、ホッとしてしまいました。もし万が一、このオフも球団から「来年も引き続き頑張ってくれ」と契約更新の打診を受けたら、自分から「やめます」と言おうと考えていたぐらいなので。これでやっと楽になれる――。率直にそんな感情が体全体を駆け巡ったのです。

 翌日の9月27日、僕は阪神タイガースの球団幹部の方々から、来季の戦力構想から外れた事実を伝えられました。

「長い間、お世話になりました。ありがとうございました」

 その場では動揺することもなく、感謝の言葉が自然とあふれ出てきた記憶があります。

「やり切った」と堂々と言い切れる状態だったのだと思います。不思議なほど後悔はありませんでした。

 最後の1年間、妻とは雑談の中で何度も進退について話し合ってきました。

「ちょっとしんどくなってきたわ……」

「もう十分頑張ったよな?」

「今年で終わろうかな……」

 新型コロナウイルスに感染したあとから徐々にやんわりジャブは打っていたので、今更胸中を説明するまでもなかったと思います。

あっという間に幕を下ろした儀式


 ただ、子供たちにはきちんと自分の言葉で伝えないといけません。球団から呼び出された日の夜、僕は1男2女にも現役引退を報告することにしました。

 その時点で、長男が中学生、長女と次女は小学生です。当然、父親が今どういう状況で仕事をしているのか、さすがにとっくに理解しています。この1、2年、特に長男の輝大は友達とよくそんな話題にもなっていたのか、事あるごとに「父ちゃん、いつやめんの?」と無邪気に尋ねてきてもいました。

 これまでは息子からそう問われても、最後の最後まで「引退」という言葉を家族の前では口にしませんでした。今振り返れば、どれだけ辛い状況に陥っていても、早く楽になりたいと思っていても、やっぱり野球をやめるという決断が怖かったのかもしれません。

「引退」という2文字は、アスリートにとっては本当に重たいものです。上手く説明するのは難しいですが、その言葉を発してしまったら最後というか、完全にその業界から足を洗わないといけないというイメージがあります。だから、ボロボロになった状態でもなお「引退」という言葉をなかなか使うことができずにいたのです。

 とはいえ、とうとうそのときが来てしまったのだから仕方がありません。

「父ちゃん、野球、やめるわ」

 決意を固めた夜、子供たちをリビングに集めて、これまでにないほど真面目な表情で伝えました。

 それなのに、3人の子供たちは「やめるんや」「そうなんや」とサラッと笑い飛ばすだけ。こちらはもう拍子抜けです。

 ずっと一緒に暮らしているのですから、子供たちはもうとっくに父親の胸中に気づいていたのでしょうね。

 自分で言うのもなんですが、うちは底抜けに明るい家族です。

 まさか泣いたりはしないだろうなと想像はしていましたが、ここまでみんなにあっけらかんとされるとは……。つられて僕も笑っているうちに、感動的な空間になるはずだった儀式はあっという間に幕を下ろしていました。

 父親が失業するというのに、しんみりムードは一切なし。そんな岩田家のみんなに、僕はずっと支えられてきたのです。

写真=BBM
©阪神タイガース

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