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『逃げてもええねん――弱くて強い男の哲学』より

坂口智隆に神戸国際大付高の恩師・青木尚龍監督が伝えたこと【第3回】

 

近鉄、オリックスヤクルトでプレーして、現在は野球評論家として活躍する坂口智隆さん。現役時代には「ケガに強い」「弱音を吐かない」武骨でストイックなイメージがありましたが、「本質は違います」とご本人。「こんな地味なプレーヤーの自分でも、20年プロ野球の世界で生きていけた」理由、考え方とは。6月に刊行された初の自著『逃げてもええねん――弱くて強い男の哲学』(ベースボール・マガジン社刊)より抜粋しご紹介します。今回は、高校時代の恩師・青木尚龍監督から教わったこと。

気分屋の自分を本気で叱ってくれた


神戸国際大付属高・青木監督のもと、人としての土台をつくり、近鉄に入団した坂口


 現在の僕があるのは、神戸国際大付属高の監督・青木尚龍先生のおかげだと思っています。学生時代を振り返ると、本当に幼かったと思います。

 僕のことを「穏やかな性格だよね」と言ってくれる方が多いですが、当時のわがままな僕を見たら信じられないと思います。感情に任せて怒ったり、ふてくされたりしていたし、人のせいにばかりしていました。そんな自分を本気で怒ってくれたのが、おかんと青木先生でした。

 高校の進路で報徳学園、育英など野球強豪校に行くことも考えましたが、自分の性格を考えると、これから強くなる学校、早い段階でレギュラーを獲れるチャンスがある環境のほうが能力を伸ばせるのではないかと考えました。

 そこで神戸国際大付属高に熱心に誘ってくれたのが青木先生でした。僕は入学してすぐにベンチ入りしましたが、これは野球の実力を買われたというより、野球以外の素行が悪かったので、自覚を持たせるためにメンバー入りさせようという、青木先生の考えだったと思います。

 実際、あのときの自分は子どもでした。1年の秋からはエースナンバーをつけさせてもらいましたが、負けん気の強さが間違った方向で爆発するときがありました。味方のエラーに腹を立てて、審判の判定にも納得いかず文句を言う。とんでもない高校生ですよね。

 でも、試合が終われば忘れてしまう。エラーした仲間と、その後に遊びに行ったりして、ひとことで言えば気分屋でした。

 高校生になると、部活をしないで遊んでいる友だちがうらやましく感じるときもあります。猛暑の中、過酷な練習で「なんでこんなこと、やってるんやろ」と遊びたくなってしまう。自分の中に甘えがあるのに、その現実に向き合おうとしていない。そのたびに真剣に怒ってくれたのが青木先生でした。

「何を理解したのか言ってみろ」


 味方のエラーで不満や怒りを態度に出したとき、審判に文句を言ったとき、ほかの選手たちの前でカミナリを落とされる。そこでは終わらず、帰る前にもう一度呼ばれて、「おまえは何が悪いかわかっとるんか?」、「何を理解したのか言ってみろ」と言われる。

 当時は「嫌やな」とか、「面倒やな」と思っていたけど、自分が青木先生の年齢に近づいた今になると、そのありがたさがわかります。生徒を本気で怒ったり、注意したりすることにはエネルギーが必要です。青木先生は野球がうまい部員を特別扱いすることなく、みんな平等に接して本気でかかわってくれた。親父みたいな存在です。

 青木先生がいなかったら、道を踏み外していた可能性があったと思います。たくさん怒らせてしまい、迷惑をかけてしまいましたが、野球だけでなく人間教育の部分で土台をつくっていただきました。

かっこ悪い自分に気づけた


 自分の振る舞いを見つめ直すことにより、他人のせいにしていた行動を恥ずかしいと思うようになって、「こんなことばっかりやっていたら、かっこ悪いな」と気づけたのも、青木先生のおかげでした。

 ヤクルトで現役引退を決断して電話で連絡させていただいたとき、「まだできるやろ、走れるからできるやろ」と言ってもらって、その言葉がすごくうれしかったのですが、僕は何も言えなかった。

 青木先生も察してくれたんでしょうね。「もう動かんかぁ……」と。自分の人生を振り返ったときに、一番大きな出会いだと思っていますし、これからも恩師であることは変わりません。自分を磨いて青木先生のような指導者、人間に少しでも近づけるようになりたいです。

写真=BBM

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