東京ドームのような熱気

松井氏と高橋氏が表紙を飾った週刊ベースボールの特大パネル前で撮影[写真=兼村竜介]
長嶋茂雄氏が立大から
巨人に入団した1958年に創刊した週刊ベースボール。10月22日発売号で通算4000号を迎える。これを記念した豪華プロ野球OBによる「週刊ベースボール4000号記念トークショー」が8月30日に幕を開けた。
第1回目は球界の盟主・巨人の「魂」を背負って戦ってきた
松井秀喜氏と
高橋由伸氏の両雄。約1200人による万雷の拍手で迎えられた2人が登壇すると、会場となったグランドプリンスホテル新高輪「飛天」は東京ドームのような熱気に包まれた。

会場となったグランドプリンスホテル新高輪「飛天」には約1200人の来場者があった[写真=兼村竜介]
お気付きの方もいるだろう。この会場は1992年ドラフト会議で巨人の監督に復帰したばかりの長嶋氏が、ドラフト1位指名で巨人、
阪神、
中日、ダイエー(現・
ソフトバンク)の4球団競合になった松井氏を引き当てた場所だ。松井氏は「当時は阪神ファンだったので実は複雑でした」と明かし、場内から笑いを誘った。だが「すぐに長嶋さんから学校に電話があり『一緒にやろう』と言ってもらいまして。その一言で気持ちが吹っ切れました」。
2人が互いを認識したのは92年夏の甲子園。同大会の2回戦で5打席連続敬遠をされた松井氏は星稜高(石川)の主将兼四番で、1学年下にあたる高橋氏は桐蔭学園高(神奈川)の2年生四番兼投手として出場していた。「松井さんは開会式で頭1つ抜けてましたね」(高橋氏)。「由伸が(2回戦でサヨナラ負けした後)マウンドから動けなくなっていたのを見ていました」(松井氏)。
松井氏と高橋氏は巨人で5年間一緒にプレーした。高橋氏が「松井さんのことは常に意識していました。打順も近かったですし、守備位置もとなり。ベンチでも横に座ってましたし。松井さんの心に波がないところからは、巨人の選手のあるべき姿を学ばせてもらいました」と振り返れば、松井氏は「巨人の年下の選手で初めてすごいと思ったのが由伸。危機感すら覚えました」と明かした。
日米通算507本塁打のパワーヒッターの松井氏と、天才バッターとうたわれた高橋氏。2人は打者としてのタイプこそ異なるが、切磋琢磨した関係であったのである。

約1時間30分の松井氏と高橋氏のトークショー。司会は上重氏[左]が担当した[写真=田中慎一郎]
元日本テレビアナウンサーで、PL学園高、立大の投手として活躍した上重聡氏の軽妙な司会によるトークショーは、笑いあり、どよめきありで、大いに盛り上がった。
6月3日に逝去した2人の師である長嶋氏との関係もテーマに。深い師弟関係にあった松井氏は「亡くなってから3カ月近く経ってもまだ信じられない。ただ亡くなってから、どれだけ自分に愛情を注いでくれたのか……と毎日、長嶋さんのことを考えています」としんみりとした口調で話した。高橋氏は自身が巨人の監督になってから長嶋氏と話をする機会が増えたという。「チームの調子がいいと、長嶋さんのご機嫌も良かったですね」。
そして話題は松井氏と高橋氏の今後へ。長嶋氏と松井氏との「約束」とは? 巨人・松井監督は誕生するのか? 高橋氏の2度目の監督就任はあるのか? こちらについては9月2日発売の週刊ベースボールで詳報する。
両者によるトークショーは9月6日まで配信も行っている。
■週刊ベースボール4000号記念トークイベント「松井秀喜・高橋由伸が語る“読売巨人軍の魂"とは」ご購入はコチラから! 「週刊ベースボール4000号記念トークイベント」は年内、あと4回予定されており、9月は元巨人の
江川卓さんと元阪神の
掛布雅之さんがレジェンドトークを繰り広げる。
■週刊ベースボール4000号記念トークイベント|スポーツのチケット ローチケ[ローソンチケット]詳細はコチラから! 
トークイベント後は報道陣の取材に応じた[写真=田中慎一郎]
さて、松井氏と高橋氏が「週べ」の表紙を飾った回数は、松井氏がメジャー時代も合わせて45回で、高橋氏は10回。球界のレジェンドも1人の読者だった時代もあった。「高校生の時に初めて載せてもらい、うれしくて買った記憶があります」(松井氏)。「自分が載せてもらった時はこれまでやってきた成果にも感じられてうれしかったですね」(高橋氏)。
4000じゃ終わらない。そこに野球がある限り。今回の4000号プロジェクトのコンセプトである。約1時間30分のトークイベントは、松井氏と高橋氏の人柄があふれる夢のような空間だった。
文=上原伸一