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第28回 奪三振王・江夏豊 vs 最後に意地見せた巨人|「対決」で振り返るプロ野球史

 

1年目からG打線とガチンコ勝負、2年目に鋭く曲がるカーブを習得して一気に!


9月17日の巨人戦(甲子園)の7回表、王からシーズン354個目の三振を奪い、日本最多記録を達成した瞬間


 西本幸雄監督が阪急を初優勝に導いた1967年、同じ西宮市に本拠地球場を持つ(甲子園)人気チーム、阪神は4位に沈んでいた。64年の阪神優勝以後、“セ界”の覇権は巨人に移りV3。大エース・村山実に往年の力がなくなり、打線も盗塁数がリーグ最下位。本塁打数は下から2番目。機動力もパワーもない、困った打線だった。

 それでもトラファンは、あまり文句を言わなかった。江夏豊という素晴らしいサウスポーが入団。ほとんどストレート一本ヤリ。それでも12勝(13敗)。225奪三振はリーグ最多。59年の村山以来と言ってもよいスーパールーキー投手が登場したからだ。トラファンは江夏が巨人戦で力投すれば、それだけで満足だった。

 この年、江夏の巨人戦初登板は5月31日(後楽園)。村山が右手指の血行障害で3イニングで降板したあとを受けてリリーフ。そのまま9回まで投げて(自責点2)。4対3で勝利。巨人戦初登板初勝利の快挙となった。奪三振も5。以後、江夏は巨人戦に9試合登板。トータル2勝2敗だったが、内容は抜群で10月8日の巨人最終戦(甲子園)では14奪三振の完投勝利(5対1)。王貞治長嶋茂雄から1三振ずつ。2人にヒットを許さなかった。9月9日(甲子園)では敵の新エース・堀内恒夫と延長11回を投げ合って譲らず1対1の引き分け。11回に王に本塁打されたが、池田純一が打ち返して引き分けとなった。ともに19歳の投げ合いは、新しい時代の到来を告げていた。

 というワケで、江夏は阪神の希望の明星となって68年を迎えた。

 2年目のキャンプで、江夏は林義一投手コーチの指導でカーブを完成させた。林コーチの現役時代は「ブーメランのように投げた方に戻っていくようなカーブ」(元西鉄・豊田泰光)を武器にした、カーブのエキスパート。江夏は幸運だった。林は「とにかく手首を柔らかくしろ」と命じ、江夏は風呂の中でも、寝床に入ってからでも手首を動かし続けた。手首が柔らかくなったところで林は「君の場合、手首をひねるのではなく、抜くようにすれば」とアドバイス。これが江夏の感覚にフィット。「落差は小さいものの、鋭く曲がる。これだ! と思った」(江夏)。

 こういう自信は大きい。江夏の2年目の巨人戦初登板は4月14日(甲子園)。前日の巨人戦(甲子園)は0対15という屈辱の大敗(巨人は堀内が完封)。ここで江夏が打たれたら、68年の巨人戦は……。まあ、言うだけヤボな結果に終わっただろう。しかし、江夏は8回途中まで4失点でしのいで勝ち投手(9対4)。ONから計3奪三振。ここから68年の江夏の巨人戦快進撃が始まる。

 リリーフを1試合はさんで4月20日の試合(後楽園)に先発すると11奪三振の完封(1対0)。次の2試合は勝ち負けがつかなかったが、7月2日の試合(札幌)はまたしても1対0完封。しかも被安打わずかに1。さらに7月13日の試合(甲子園)では3たび1対0完封だ。恐るべき20歳!

9月17日の快挙!投げては王から奪三振日本記録、打っては延長12回サヨナラ打


 しかし、さすがは巨人。7月31日の試合(甲子園)では、王が2本塁打を浴びせて江夏をKO。黒星をつけた。と言っても8回まで投げて3失点だから打たれたとは言えない。江夏には投げ合う相手が堀内だったのが不運だった。堀内は完封勝利(3対0)。このあたりの江夏-堀内の対決は、本当に面白かった。

 しかし、転んでもただでは起きないのが江夏。このあとまた完封で巨人を黙らせてしまうのだ。リリーフの試合をはさんだ9月17日の試合(甲子園)だった。高橋一三との投げ合いは0対0で延長に入ったが、12回裏、自らのサヨナラ打で1対0の勝利。このシーズン巨人戦4度目の完封。すべて1対0完封なのだからすごい。阪神打線は江夏に足を向けて寝られないだろう。この試合で王から3三振を奪うが、そのうちの1個が、稲尾和久(西鉄)の持つシーズン最多奪三振記録を破る354個目の三振となった。

 あまりに有名になったあの話はこの試合でのことだ。江夏は4回に王から奪ったこの試合8個目の三振を新記録と思い込んでいたのだが、実はタイ記録で「新記録は王さんで!」と公言していた手前、次の王の打席までほかの打者から三振は奪えない。しかし、この芸当を江夏はやってしまった。1安打されたが8打者を三振なしでしのぐ(巨人は多分4回の王の三振でタイというのを知っていたから、「オレは記録に残りたくない」と打者が当てにきたことも幸いした)。しかし、投手の高橋一を0-2としてから三振させなかった「技術」は江夏ならではのものだった。さて王との仕切り直し。王は、さすがに当てにくるようなバッティングはしなかった。1-2からやや外角寄りの高めのボール球を空振り。新記録は達成された。

 江夏はのちに「わざと打者を一巡させて王さんから新記録を作るなんて、いまなら許されんだろう。でも、あの時代はそれが許された。ファンもマスコミも喜んでくれた。そういう時代に生きたのは幸福だった」と語っているが、江夏だからこそできた芸術的投球だった。

 江夏のすごさは、中1日でまた先発してきて(19日、甲子園)、また完封してしまったことである(3対0)。これで巨人とのゲーム差はなくなった。

 しかし、阪神・藤本定義監督のこの酷使はやはり江夏にはこたえた。9月28日の試合(後楽園)は5回持たず7失点KO。29日の試合(後楽園)はダブルヘッダーの2試合目に先発(この先発連投もひどい酷使だった)。延長10回、高田繁にサヨナラ打されて(1対2)、この年の江夏対巨人打線の勝負は終わった。江夏は奪三振を401まで伸ばし、メジャーにもない世界記録を達成した。

文=大内隆雄

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