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栃木ゴールデンブレーブス・川崎宗則インタビュー 野球を楽しむために──

 

川崎宗則が帰ってくる。9月7日、BCL/栃木への入団が正式に発表となり、2017年以来3年ぶりに日本でのプレーが決定した。このインタビューは栃木での練習参加直前に行ったもので、ホークス退団後から現在まで、そしてこれからのターゲットについて語ったもの。野球への情熱はいまなお、熱くたぎっている。
インタビュアー=田中大貴


世界一の日本代表二遊間コンビ復活へ


――BCL/栃木の練習に参加するというニュースに、日本のファンの皆さんはすぐに反応、喜びの声も多く聞こえています(※8月24日から練習に参加し、同28日に契約合意、9月7日に入団会見を実施)。

川崎 契約をするかどうかは、実際に練習参加してみてからと思っていました。チームはいろいろと僕のことを考えてくれているのですが、実際に練習に参加してみて、どんなものか見せてもらいたいなと。

――練習参加はパフォーマンス的なものかと受け止めていましたが。

川崎 違うんですよ。練習に参加してみて、イメージと違うな、となれば契約しない可能性も。まだまだ野球を続けていくわけですから、ケガは避けなくてはいけないですし、練習環境も重要。チームの雰囲気もそうだし、僕なりに最低限、譲れないラインもあって、それがOKならば契約をしようと。監督は年下ですけど元巨人の寺内(寺内崇幸)さんだし、コーチングスタッフもみんな元NPB出身のプロの方々ですから、その辺は問題ないかなと思うんですけど。9月からは昨年から栃木にいる剛(西岡剛)も帰ってくる(※9月1日に契約更新。同7日に川崎とともに会見出席)。練習参加に当たっては、剛からもいろいろと情報をもらっていたんです。

BCL/栃木との契約前には練習に参加。ハツラツとしたプレーを見せた。/写真=高塩隆


――西岡選手からの誘いがキッカケ。

川崎 もともとは今回のタイミングよりももっと前、昨年、台湾(味全)に行く前くらいのときに、エイジェック(※栃木のトップパートナー企業)にいて、以前はホークスでコーチをされていた五十嵐章人さんから「栃木は良い球団だから来てみないか?」と声をかけてもらったのがキッカケです。ただ、最初のタイミングでは台湾に行くことが決まっていて、お断りしていたんですけど、今回また誘っていただけて。剛からも「一緒にやりましょう」って、しょっちゅう言われていたので、いろいろ聞いてみたら、「BCL、楽しいですよ」と。日本の独立リーグに興味がないわけではなかったですし、運営方法も気になる。ちょっと行ってみようかな、ということで。

もちろん、グラウンド整備も自分で/写真=高塩隆


――入団が決まれば、2006年のWBCで優勝を勝ち取った、西岡選手との、世界一の日本代表二遊間コンビが復活することになります。

川崎 そう! それはちょっと楽しみなんですよね。栃木では僕がショートで、剛がセカンドね。

――昨年オフに台湾の味全を退団してからここまで、ずっと個人で活動をしていたと聞いています。

川崎 今季に関しては台湾でのプレーを模索していて、社会人チームからのお話もあったんですが、コロナの問題とかいろいろ重なって、実現しませんでした。でも、台湾は11〜12月まで試合をしていますから。ただ、実戦から遠ざかった状態で台湾に行くのも厳しくて、そういう意味で、栃木から声をかけてもらって、実戦の機会を得られるチャンスがあるというのは、ありがたいです。

――時間を少し戻してお話を聞きたいのですけど、味全退団後、ここまでどのように過ごしていたのですか。

川崎 子育てとか(笑)? もちろん、毎日体を動かしていましたよ。野球のトレーニングの時間は週に4〜5日間、それ以外は走ったり。練習の相手をしてくれるパートナーがいるので、彼らに手伝ってもらって、キャッチボールやらフリーバッティングやら、ノックやら。

――実技系もしっかり。

川崎 そう。試合をやっていないだけ。動ける体ではあります。

――どういうところで練習をしているんですか。SNSには砂浜を走る写真がアップされていました。

川崎 まさに砂浜を走ったり、公園を走ったり。基本的にはいくつか使えるグラウンドがあって、そこの都合に合わせてスケジュールを組むんですが、グラウンドが使えないときは、バッティングセンターにも行きます。僕、ランニングのメニューは全力のダッシュだから、近所の公園では目立っていると思う。ちょうど800メートルの整備されたトラックもあって、良いんですよ。昨年台湾にいたときよりもむしろ走れるし、体も動いていると思います。

――最近ではメディアへの露出も増えてきています。

川崎 えらいでしょ? ありがたいことに野球の仕事が多くて解説もさせてもらうんですけど、勉強になりますね。僕、いままでそういうの大嫌いで断ってきたんですけど、やってみたら面白いじゃん、て。

――野球の見方もこの1年で変わりつつあるのではないですか。

川崎 めちゃくちゃ変わりましたね。一番に思うのが、環境がとても大事であること。プロ野球選手って、みんなとんでもなく才能があって、良い選手がいっぱいいるのに、そこにチームの勝ち負けが生まれて、個人でも活躍できる、できないがある。例えば、ホークスやジャイアンツがFAで選手を補強しているっていうけど、その前の段階では12球団が平等にドラフトを行って、1位は競合すればクジを引いて、均等に選手が分かれているのに、です。なぜそこでWINとLOSEの差が出て、偏るのか。選手個々の能力はあるわけだから、ほかに要因があるんじゃないかと。今年は日本のプロ野球、メジャーはもちろん、来年行くかもしれないので台湾のプロ野球と、いっぱいテレビで試合を見ているんですけど、そういうところを感じられるように、注目しています。

――選手のときはそんなこと、考えもしなかったのではないですか。

川崎 全然(笑)。僕も強いホークスにいたし、選手が頑張ればいいと思っていたわけですけど、それだけじゃないと思うんですよね。


長くやれる選手は足が速く動く


――先ほど、さらっと触れていましたけど、「来年は台湾でプレーしたい」と。もう予定があるのですか。

川崎 行きたいですね。でも、契約ごとなので、決まるか決まらないか分からないんですけど。

――どうして台湾なんですか。

川崎 日本の野球も面白いんですけど、海外の野球も面白いんですよ。台湾は日本と同じアジアだけど、これだけ距離が近くても文化も違って、野球に対する考え方も違う。そういう野球を肌で感じたいんです。

――これから直近のキャリアをどういうふうに考えていますか。

川崎 今季は栃木と契約すれば9月、10月としっかり試合に入って、チームのためにシーズンの最後まで戦う。と同時に、台湾で戦うために必要な準備でもあると思っています。

――開拓者ムネのスタイルとしては、独立リーグも面白いですね。

川崎 キャリアの最後ってつもりで行くわけではないですし。僕はNPBのトライアウトを受けるつもりがなくて、というのは、NPBでは13年間、十分にやったので。飽き性なので、違う環境でやりたいんですよ。純粋にBCLを見て、自分が何を感じるのか。基本的にはNPBでプロになりたい若い選手がいっぱいいますよね? そんな彼らがプロを目指しながら野球をやり、生活するためにオフにはバイトをする。そういう話を聞きます。もちろん、僕は野球を楽しみに行くんですが、実際にBCLを体感してみて、彼らのためにプラスになるような、さまざまなアイデアが生まれるかもしれない。そういう思いも少なからず持っていて、これからの人生を考えると、避けては通れない道だと思っています。

――昨年の11月に味全でウインター・リーグを戦って、約9カ月実戦から遠ざかっているわけですが、不安はありませんか。

川崎 速いピッチャー、打てるのかな? と。マシンでは打っていますけど、生きたボールを打っていないので。でも、僕、野球選手なので。始まってしまえば大丈夫ですよ。

――BCLで、どれくらいやれると考えていますか。

川崎 39歳でね。どれくらいかね? やってみないと分からない(笑)。台湾でもいけるなと思ったら、いろいろなことが起こりましたからね。でも、今回は台湾での反省を生かして、ここまで調整してきました。

――この間、どこを重点的に鍛えてきたのですか。

川崎 肩ですね。

――昨年、台湾での味全のOB戦では、マウンドに上がって140キロ超のスピードボールを投げたことがニュースになっていました。

川崎 ありましたね(笑)。初めてピッチャーをやって、141キロが出たんですけど、自分でもビビりました。当てないように7割で投げてなので、145、6キロは余裕で投げられると思います。これには肩の柔軟性、使い方、投げ方が関係していている。歳を重ねると、関節周りの筋肉が硬くなるのは避けようがありません。バットを振ることに関しては何の問題もなくても、ベテランと言われる年齢になると、肩がネックになる。ワンプレーで投げるのは何の問題もないんです。だけど、20分肩を休ませると、筋肉は固まり、野球はこれを9セット(9イニング分)繰り返さないといけないですから。

――ホークス時代、若いころはその難しさを感じなかった。

川崎 余裕でしたね。ただ、ホークスのときは肩を使っていないんですよ。足を使って投げていたので、そもそも今と投げ方が違います。当時は小さいステップで、小さいモーション。安定したボールは行くんですが、速いボールとはならない。でもね、メジャーではそのスローイングでは通用しないんです。いくらストライク送球をしても、間に合わない。向こうで求められているのは、どんなに汚い投げ方でもいいから、ドンと強くて速いスローイング。胸をバコッと割って肩を使って投げる必要性を知りました。ただ、肩には負担が大きいので、内野手と言えど、トレーニングとケアが必要です。それもあって、現在も毎日肩トレ。あとは走ること。足も3時間の試合中、走ったり休んだりを繰り返すわけで、それに対応するトレーニングが大切です。捕る、打つもあるんですけど、肩と足をきっちりしておくことが、30代後半を迎えている選手にとってポイントになるんだと思います。

――同い年の鳥谷敬(ロッテ)選手の動きを見ていかがですか。

川崎 トリ、すごくよく足が動いていると思います。彼の動きを見ていると、かなり走り込んでいるのが分かりますね。青木宣親(ヤクルト)もそう。みんな今年で39歳になる同級生ですけど、ここまで長くやれている選手は足が速く動くもんね。


――先ほど、西岡選手がセカンドでムネがショートって話をしていましたけど、栃木でショートいけますか。

川崎 いけます。ジャンピングスローできるから。三遊間の深いところから。飛ぶから、見とってね。栃木の子どもたちに見せてあげるから。三遊間、ビョンビョン飛ぶおじさんを(笑)。真面目な話、1試合でどれだけ飛べるか、そこにフォーカスして今、トレーニングをしています。

イチローの引退日に衝撃のKYメール


――ケガに加えて自律神経系の病気について公表し、18年にホークスを退団しました。その後、心境含めて大きく変化しているように感じます。

川崎 自分に正直になろうと考えるようになりました。野球を楽しむためにね。いろいろありましたからね。台湾に行くころはまだ「どうだろう?」という感じ。スイッチが入って行ったわけではないんです。野球をやりたいというマインドはあったんですが、捕れんやろな、打てんやろな、と。でも、台湾で若い子たちとカタコトの中国語で話しながら練習していると、「メジャーに行きたい」とか、「稼いで親に仕送りしたい」とかって話にもなって、僕の若いころと同じで、刺激を受けましたね。

17年に古巣ソフトバンクで日本球界復帰(写真は復帰後初安打)も1シーズンのみで退団となった


――ホークスを退団した後、ファンの皆さんからの「野球を続けてほしい」という声は届いていましたか。

川崎 そういう声は届いていました。ただ、焦りはなかったです。だって、誰が何を言っても僕がしたいようにするだけなので。

――このまま引退という考えを持つことはなかったですか。

川崎 引退って言葉は使わないです。一生。18年にいったんやめているんですけど、「またやるかもね」と。

ブルージェイズ時代[2013〜15年]


――野球をいったんやめている時期に、支えていたものは何ですか。

川崎 家族です。奥さん、子どもたちが一緒にいてくれたので。野球を忘れることもできたし。見ることすらしない時期もちゃんとあって。あれは必要な時間だったと思います。

――野球に再び向き合うキッカケは。

川崎 息子です。当時はまだ幼稚園児だったかな? サッカーのクラブに入っているんですが、急に「キャッチボールやりたい」と言い出して。僕、67キロくらいまで体重が落ちてて、息子にボール投げるだけで肩が痛かったんですが、「こうやって打つんよ」「こうやって捕るんよ」と練習を手伝う中で、本当に自然に、野球と向き合えるようになっていたんです。息子のおかげですね。戻れたのは。サッカー部をやめて、「野球をやりたい」と言い出していますよ(笑)。

カブス時代[2016年]


――イチローさん(元マリナーズほか)はこのとき、どんな言葉をかけてくれたのですか。

川崎 先輩はアドバイスとかしないです。本格的にトレーニングをできるようになった後、19年の1月に先輩が神戸で自主トレをしていたので、練習に参加させてもらいました。2カ月くらい前から究極に準備して。だって、先輩の練習だから、失礼があっちゃいけない。1年の重要な1日をもらっているわけですからね。ですから、キャッチボールをしたら、「ムネ、投げれるやん!」。フリーバッティングをしたらサク越えしちゃって、「良いやん!今まで何してたん?」って。初めて褒められて、ひょっとしたら、いけるかな? と。

マリナーズ時代[2012年]


――この年の日本でのMLB開幕シリーズでイチローさんは引退しますが、事前に知らされていたのですか。

川崎 いや、まったく。皆さんとおんなじタイミングで知りました。僕、鹿児島にいて、テレビで見ながらストップウォッチ片手に一塁到達タイムとかを測っていたんですよ。結果的に、最後となったショートゴロもめちゃくちゃ速くて。先輩にメールで「3秒79出てましたよ」と。引退なんて、これっぽっちも頭に入っていなかったですから。直後に、引退を知り、慌てて「失礼しました。とんでもないKYなメールを送ってしまって」って入れ直したんですけど(笑)。先輩からは「『お疲れ様』とか『やめないで』ってメールばかりの中で、ムネ、お前のはかなりインパクトがあったぞ(笑)」って言われてね。失敗したなと思いましたけど、でも、僕らしくていいかなと。

――イチローさんは45歳までプレーしました。1つの指標になるのでは?

川崎 先輩は世界のトップでやっていたわけで、目標にはできませんよ。

――来年、台湾に行き、その後はどう考えているのですか。

川崎 中国にも行きたいですね。TikTokを引っ提げて(笑)。来年は台湾でのプレーを希望していますけど、ただ、今年はこれから栃木でやってみて、それからですね。また日本からでもお話がもらえるなら選択肢の1つになりますし、ヨーロッパも面白そう。僕がプレーすることが第一にありますけど、選手たちがプレーする環境づくりということにも興味があって、ゆくゆくはそちら側にと、今は考えています。クラブハウスにゲームセンターを作るとか、ロッカーのイスを飛行機のファーストクラスのイスに変えるとか、お酒を飲める選手専用のバーを作って、選手がどういうふうに変化するのか。カブスで、そういったことに衝撃を受けたんです。目的は選手をリラックスさせて、最大限のパフォーマンスを発揮させること。メンタル的な部分ですね。僕も自律神経の病気をしたし、スポーツをする上で、メンタルってすごく大事ですから。

――ムネだからこそ、できることかもしれません。

川崎 やれるなら携わりたいなと。これは、監督やコーチではできないこと。ただ、僕は今やりたいことに力を尽くしたいから、まずはBCLの栃木で頑張る。そのあとは必殺の不安定な感じでやっていきます。

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