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度会隆輝(横浜高・内野手) 白球を追う家族全員の夢

 

内・外野を守るヤクルトのユーティリティープレーヤーとして活躍。神宮のファンを沸かせた明るいキャラクターだった度会博文のDNAを継いでいる。3歳上の兄・基輝(中央学院大3年)の影響も受け、次男も白球一筋の人生を歩んできた。10月26日のドラフト会議直前特集として「父子の絆」をキーワードに、高校生3人のドラフト候補に迫る。
取材・文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎

8月の神奈川県高野連主催の独自大会敗退後は金属バットから木製に持ち替え、練習に打ち込む


 撮影前、脱帽でのポーズを依頼すると「ボサボサじゃないですか?」と、度会隆輝は愛嬌たっぷりの笑みを浮かべた。だいぶ髪の毛も伸びた。これには事情があった。

「夏の神奈川の独自大会(準々決勝敗退)が終わって以降、3年生で散髪していないのは自分だけなんです(苦笑)。10月20日過ぎには切ろうかな、と思っています」

 これも一つの決意の表れだ。10月26日にドラフトを、すっきりした気持ちで迎えたいと考えている。

「不安ではない、と言えばウソになる。人生の中でも、こんなにドキドキすることはあまりないこと。自分ではどうすることもできませんから、必死に練習するだけです」

 尊敬する人物を聞くと、度会は「度会博文です」と即答。屈託のない笑顔は、父とそっくりである。

「最近、よく似ていると言われます。父は野球が心の底から好きだったんだな、と。自分も率直に野球が楽しいからこそ、表情に出る。試合では緊張とかもほぐれます。父は身近であり、自分が目標にしているプロ野球の場でプレーした野球人の先輩。あこがれの存在です」

 3歳上の兄・基輝さん(拓大紅陵高-中央学院大3年)の影響で、3歳から白球を追った。右利きであるが「打ちやすかったので、自然とそうなった」と、兄と同じく左打席に立つようになった。

 2008年10月12日、当時6歳だった。ヤクルト一筋15年でユニフォームを脱いだ父の引退セレモニー(神宮)を鮮明に覚えている。

「兄が投手で自分が捕手。始球式をさせていただきました。テレビで見るプロ野球の球場に立ったのは、初めての経験。偉大な父の花道で、寂しい気持ちもありましたが『お疲れ様でした』と言いました。父の試合はよく神宮球場で観戦し、本塁打を打った場面を見たときは興奮しましたね。3歳から『プロ野球選手になる』が口ぐせでしたが、それが明確になった日です」

強烈な記憶に残る1年夏の甲子園


 父がプレーしたヤクルトとは縁がある。小学6年時にはスワローズジュニアに選出。チームのお披露目となったファン感謝イベントでは、山田哲人と握手して感激した。

「高打率を残して、なおかつパンチ力もある。右と左で違いますが、山田さんは目標とする選手です」

 中学硬式野球の強豪・佐倉シニアでは、中学3年時に日本一を経験し、ジャイアンツカップ優勝。プロ志望届を提出した東海大相模高・西川僚祐とは元チームメートで「お互い尊敬し、高め合う仲です」と、高いレベルで切磋琢磨してきた。侍ジャパンU-15代表でも活躍し、世代を代表する左打者として注目され、スポーツバラエティー番組にも出演したことがある。

「小さいころ、テレビで見るたびに横浜高校が出場していた。甲子園と言えば、横浜高校のイメージ。ずっと、ここでプレーしたいと思っていました。今年の夏は中止になりましたが、甲子園の土を2回踏ませていただき、精神的にも成長することができた3年間でした」

 印象に残っている打席は1年夏、金足農高との3回戦だ。6回二死一、二塁、代打で登場も見逃し三振に終わった(試合は4対5で敗退)。

「マウンドは吉田輝星さん(日本ハム)。追い込まれて外角ストレートを見切ったつもりでしたが、ストライクとコールされ……。甲子園で素晴らしい投手と対戦できたのは、良い経験になりました」

 二塁手のレギュラーとして臨むはずだった2年春のセンバツは右足首を故障した関係で、代打での1打席の出場にとどまった(チームは初戦敗退)。高校通算27本塁打。父からいつも言われてきたのは「ケガだけは絶対にするな!」と。幼少時に一緒に風呂に入ると、手術した右肩の痕を見せて、いつも自身の苦い経験談を聞かされていたという。度会の練習後のケア、ストレッチはルーティンとなっており、体には細心の注意を払う。

ミート力に優れ、左右に打ち分ける打撃は超高校級のレベルにある


母がトスを上げる自宅庭のティー打撃


 夏の独自大会後は、横浜市内の同校敷地内にある野球部合宿所を退寮。千葉県市川市内の自宅から通う。高校野球の引退前から練習で木製バットを使用しており、むしろ、金属より打ちやすいという。

「しなるので、振り抜きやすい」

 ヤクルト・青木宣親村上宗隆のモデルに似たミドルバランスの85センチ900グラムのバットを愛用。中央学院大で2年秋に首位打者を獲得した兄・基輝さんからも助言をもらい、新スタイルに挑戦している。

「兄も来年、大卒でプロに行きたい、と。家では『同じ舞台でプレーしたいね』との話もしています」

 自宅の庭には、打撃用ネットが設置してある。父が現役時代は、祥子夫人がトスを上げていた。引退後は、母と兄弟2人によるティー打撃が、度会家の日課となった。

「もう20年くらい上げているのでは……(笑)。父は右打者ですので右手で上げ、兄と自分は左なので左手で……。器用ですし、ものすごくうまいです。父は仕事で忙しいこともあり毎晩、母が付き合ってくれました。(中学時代に在籍した)佐倉シニアのグラウンドに送迎してくれたのも母。プロに入るだけでなく、超一流の選手になって恩返ししたい思いが強いです」

 昨年12月、母が病に伏した。幸い大事に至らなかった。度会にとっては、尊い生命と向き合う時間となり、家族の絆を再確認した。

 右投左打の内野手。度会にとっての「超一流」の基準はこうだ。

「言い続けていますが、将来的な目標はプロ野球史上初の打率.400です。アベレージを残した上で、良い軌道に入ったときは本塁打。横浜高校の先輩である近藤さん(近藤健介、日本ハム)も理想の打者です」

 趣味を聞けば「歌を歌うこと。スキマスイッチの『奏』が好きです」。コロナ禍で難しい状況だが、カラオケ愛好家だ。「プロ野球と言えば『度会隆輝』と名前が上がるような選手になりたい」。大きな声で周囲を盛り上げ、和ませる性格も、ファンから愛された父親譲りである。

父からのメッセージ 度会博文(ヤクルト/ファームディレクター補佐兼広報)


最大の理解者である父と。どんなときも息子の成長を見守ってきた(写真は家族提供)


「高校卒業後の『大学』という選択肢は本人の中にはなく、横浜高校への進学も自分自身で決めました。甲子園、全国優勝を狙い、プロ入りを目指す、と。入学当時からそういう覚悟だったみたいです。この3年間は寮生活だったのでなかなか会えなかったですし、私もこういう仕事なので、あまり試合も見に行ってあげられなかったですが、観戦した際は成長を感じていました。ドラフトは良い形で、指名してもらえたらいいですね。今後もケガをせず、明るく、元気にやってくれればと思います」

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