新人年の筆者。昭和の時代は野球に打ち込むことしかできなかった
松木さんは死ぬ気で私に向き合ってくれた
以前、かつてあった“浪漫(ロマン)”が今の球界には失われていると書いた(関連記事→「
張本勲コラム『平成の間に野球の“浪漫”が失われた。』」)。野球の浪漫とは何か――それは夢や愛などというフワフワしたものではない。一つのことに徹底的に、命懸けで打ち込むことによって生まれてくるものだ。私自身、選手でやっているときは浪漫など考えてはいなかったが、あとから振り返れば、確かにそこには浪漫があった。
私たちのような昭和の人間は、野球だけにすべてを懸け、必死に打ち込んだ。日本全体がまだまだ貧しく、そこからはい上がっていこうという時代だった。その中で野球に人生を懸け、なんとかいい生活がしたい、おいしいものが食べたい、母親に楽をさせてやりたいという思いがあり、そのためにも何とか野球がうまくなりたい、もっと打ちたい、試合に勝ちたい、そして給料を上げたいという思いでやっていた。
今は時代が変わり、日本全体が豊かになった。特に野球界は、日本のスポーツ界の中でも最も金銭的に恵まれたスポーツになっている。5億円、6億円といった年俸をもらう選手がおり、しかも3年、5年の長期契約を結んでいる。
本当に恵まれた時代だと思うし、もちろんそれは悪いことではない。しかし、人間には楽をしたいという本能がある。今は少々休んでも、大した成績を残せなくとも、長期契約を結んでいれば簡単に年俸が下がることはない。こうなると、選手たちは少し疲れれば「あそこが張った」「ここが痛い」と言って休むことができてしまう。これでは浪漫など生まれるはずがない。
「偉そうに言うが、では、お前が今の時代に、同じ状況になったらどうなのか」と問われれば、私だって楽をしたいと思うだろうし、休んでいたかもしれない。だが、当時はそんなことをして結果が出なければ、あっという間に給料は下げられてしまった。簡単にクビになった。
今はほかにもたくさんの選択肢があるが、昔はスポーツで金を稼ぐとなると、相撲か野球しかない。その中で私は野球を選び、必死に取り組んだ。私だけではなく、対戦相手もチームメートも、誰もがそうだった。そうやって一つの競技に打ち込み、しのぎを削ったからこそ、そこに見ている人たちの心を打つ浪漫が生まれたのだと思う。
野球にすべてを懸けていたのは選手だけではない。指導者たちもそうだった。私にとって打撃の師と呼ぶべき
松木謙治郎さん(元
阪神、東映監督ほか)もそんな指導者の一人だ。ワンちゃん(
王貞治、元
巨人)にとっての
荒川博さん(元巨人コーチほか)が、私には松木さんだった。
私が東映フライヤーズに入団した1959年、松木さんは打撃コーチを務めておられたが、私に対して・・・
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