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“一打無敵”のご意見番が球界を斬る 張本勲の喝!!

張本勲コラム「設備が整ってはいなかったが駒沢球場への思い入れは深い。今の選手たちは本当に幸せだ」

 

駒沢球場でプレーしたのは3年間だったが、懐かしくも楽しい思い出が多い


お客さんと一緒に歩いて寮へ帰る


 阪神藤浪晋太郎をはじめ、プロ野球選手からも新型コロナウイルスの感染者が出てしまったのはとても残念だった。だが、「明日は我が身」だ。それぞれができる限りの注意を払いながら、これ以上は感染が拡大しないように努力をしていくしかない。これを書いている時点ではプロ野球の開幕がさらに延期されそうな情勢だが、今はじっと耐え忍んでいかなくてはならない。

 今回は駒沢球場をはじめとする昔の球場の思い出でも書いていこう。駒沢球場は私がプロの世界に飛び込んだ東映フライヤーズの本拠地だった球場だ。プレーしたのは入団した1959年から61年までのわずか3年間。翌62年には取り壊されてしまったが、18歳から青春の3年間を過ごした球場だから思い入れは深い。

 原っぱの真ん中にあるような球場で、跡地にできた駒沢公園の周辺といえば今でこそ開けているが、当時はまだ「東京の田舎」という風情があった。内外野とも土のグラウンドで、内野は少し整備してあるが、私が守る外野はでこぼこなまま。ところどころに芝ではなく草が生えており、夏になると蚊がぶんぶんと飛んできて、足を食われてしまう。

 当時、グラウンドキーパーをされていたのが天野禎さんで、駒沢球場のあとも多摩川グラウンドでグラウンドキーパーを続けるなど長く球団におられたとても人柄のいい方だった。だが、「天野さん、蚊が飛んでくるから蚊取り線香を置いてよ」と頼むと、「分かった」と言いながら、すぐに忘れてしまうのか、最後まで置いてくれることはなかった。

 駒沢球場は良くも悪くも、今では考えられないほど・・・

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“一打無敵”のご意見番が球界を斬る 張本勲の喝!!

球界きってのご意見番として活躍する野球評論家の張本勲氏が週刊ベースボールで忖度なしの喝を発信。球界の未来を考えた提言を展開する。

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