若き日の大杉勝男。後方でバットを振っているのは筆者
私とよく似た境遇
この原稿を書いている段階で、プロ野球が開幕して2週間が経過している。今後、徐々に観客の入場を増やしていくようだが、新型コロナウイルスの対策には万全を期してもらいたい。
開幕すれば主力投手の状態は上がってくると思っていたが、どうやらそうでもないようだ。やはりこのコロナ禍の影響で投げ込み、走り込みが足りなかったのか、調整不足が目につく。しばらくは乱打戦が多くなりそうだし、夏場に入れば投手の疲労は増すはずだから、その傾向はますます強くなるのではないか。まだ始まったばかりだが、投手よりも打者有利という印象だ。
ロッテが
オリックスを6タテしての8連勝で幸先の良いスタートを切ったが、私はルーキーの
佐々木朗希の存在が要因だと思っている。まだ一軍登板はないが、誰が見ても分かる逸材で将来のエース候補。周りの選手たちが「俺もやらなければ」と刺激を受けているのではないか。
井口資仁監督のさい配にも迷いがないし、パ・リーグは
ソフトバンク、
楽天の下馬評が高いようだが、ロッテが台風の目となりそうだ。
さて、今回は大杉勝男という選手について書きたい。以前に私の兄貴分でもある
土橋正幸さん(東映)=土橋の兄(あん)ちゃんについて書いたことがあったが
(→コラム第58回)、大杉は私の弟分にあたる。大杉にとっての兄ちゃんが私になるということだ。
私より5歳年下の大杉は1965年に東映に入団してきた。右打者のスラッガー。岡山の関西高を卒業後、社会人の丸井を経てのテスト入団だったが、3年目から頭角を現し、球界を代表する打者になった。本塁打王と打点王のタイトルを2回ずつ獲得し、75年に東映から
ヤクルトに移籍してからも活躍。史上初の両リーグ1000本安打を達成した。通算486本塁打、2228安打、1507打点は立派な数字だ。
最初の出会いは大杉がテスト入団を受けた数日後のことだった。私は打撃コーチだったと思うが、「いい選手がいるんだけど、獲ろうかどうか迷っている。ちょっと見てくれないか」と相談を受け・・・
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