1960年の第2戦。MVPで獲得したオートバイにまたがる筆者
セ・リーグに負けるな!
大島康徳が亡くなった。私と同じ名球会のメンバーであり、その仕事でもある野球教室で年に何度も顔を合わせていたが、まだ70歳という年令を考えても早過ぎる。非常に残念だ。現役時代は
中日で活躍し、最初は代打が多かったものの、努力でレギュラーの座をつかんだ。本塁打王のタイトルを獲得していることからも分かるように(1983年)、一発が期待できる長距離砲だった。
中日から
日本ハムへ移籍し、その後、日本ハムで監督を務めた。大島が監督になるとき、当時球団の要職に就いていた大沢(
大沢啓二)さんから、どう思うかと意見を聞かれたことがあった。私は「あいつは人間性もいいし、日本ハムのカラーに合いますよ」と即答した覚えがある。明るくカラッとしていて、まさに九州男児。闘病生活も長かったようだが、よく頑張ったと思う。
今回は間もなくオールスターゲームが開催されることもあり、その話をしよう。今年は2年ぶりの開催で70回目を数えるという。私は調べてみたところ、そのうち18回に出場している。パ・リーグで15回、セ・リーグで3回だ。
近年のオールスターゲームは交流戦などもあり、どこかお祭り的な雰囲気が強いが、私が駆け出しのころのオールスターゲームというのは、真剣勝負そのものだった。
特にパの選手たちだ。人気ではセに大きく及ばなかったから、この全国中継のあるオールスターゲームで活躍し、セをやっつけてやると意気込んでいた。選手だけではない。南海の
鶴岡一人監督などは「絶対に負けるな! ONには打たれるな!」とえらい剣幕だった。私も含め、ある意味、公式戦以上に力が入っていたかもしれない。
私が初めて出場したのは・・・
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