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“一打無敵”のご意見番が球界を斬る 張本勲の喝!!

張本勲コラム「甲子園でプレーできる高校球児は幸せだ。池永正明という好投手を失った黒い霧事件。その過去と教訓を忘れてもらいたくない」

 

65年に西鉄入団した池永。筆者が対戦した投手の中でもトップクラスの一人だった[写真=BBM]


「先輩、ええボールっしょ!」


 夏の甲子園の真っただ中だ。テレビ中継を見ていると、やはり自分も甲子園を目指して練習に明け暮れていた日々を思い出す。甲子園に出たいがために故郷の広島を飛び出し、大阪の浪商高(現大体大浪商高)に転校した。甲子園でプレーすることは当時の私の一番の夢だった。残念ながら、その夢を叶えることはできなかったが、当時のことは今でもよく覚えている。甲子園はいつの時代も高校球児にとっては夢の舞台であるから、こうして実際に戦えている選手がうらやましくもあるし、幸せだとも思う。コロナ禍の中での開催だけに、まだ我慢しなければならない部分もあるが、これは仕方ないだろう。決勝戦まで大会が無事に行われることを願っている。

 甲子園で活躍してプロ野球選手になるというのが、今も昔も変わらぬ野球少年の夢だろう。私もそうだった。今年も甲子園に出場した高校生の何人かは秋のドラフトで指名され、プロの世界に飛び込んでいくことになるはずだ。思えば、私がプロに入った当初はドラフトなどなく、各球団が欲しいと思う高校生がいれば直接、本人に交渉して獲得できた。

 チビがそうだった。チビというのは尾崎行雄のことで1961年夏の甲子園優勝投手だ。当時まだ高校2年生。浪商高で私の後輩にあたるが、チビは高校を中退して東映に入団してきた。つまりプロ1年目の62年のシーズンは高校3年生だったということになる。さらに驚くべきことにチビはこの年、20勝を挙げて新人王を獲得。東映初のリーグ優勝はチビの入団があってこそだった。

 今の時代、投手にしろ、打者にしろ、高卒選手がルーキーイヤーから即戦力になることはまずない。試合に出ることはできるかもしれないが・・・

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“一打無敵”のご意見番が球界を斬る 張本勲の喝!!

“一打無敵”のご意見番が球界を斬る 張本勲の喝!!

球界きってのご意見番として活躍する野球評論家の張本勲氏が週刊ベースボールで忖度なしの喝を発信。球界の未来を考えた提言を展開する。

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