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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第6回 引っかかっている魚の骨

 

1999年新人・上原浩治がマウンドで突然泣き出す。このあと筆者は……


雑草魂の投手


 連載の6回目は僕の喉にずっと引っかかっている“魚の骨”みたいな話を書いてみよう。思い出すたび、「俺は広報失格だったな」と思ったり、「いや、あのときは、あれでよかったんだ」と思ったりしていることだ。

 当時は逆指名だったが、1998年秋のドラフトで、ジャイアンツは1位で大体大の上原浩治、2位で近大の二岡智宏を獲得した。ジャイアンツは97、98年と2年連続でV逸となり、是が非でも優勝と、周囲から重圧を受けていた時期だ。僕は42歳、広報部の中堅どころと言えばいいだろうか。

 2人とも即戦力の期待がかかった選手で、特に上原は、大学日本代表として当時最強と言われたキューバ相手に完投勝利し、メジャーからも注目された逸材だ。当然、入団決定から取材依頼が殺到。自主トレ以降はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の記者、カメラマンに一挙手一投足を注目された、というか、常にしつこく追い掛け回されていた(笑)。

 当時の巨人は、まさにスター集団だ。野手では清原和博松井秀喜高橋由伸、投手では斎藤雅樹槙原寛己桑田真澄の三本柱、もちろん長嶋茂雄監督もいる。宮崎の春季キャンプには連日200人近い記者、カメラマンが来ていたし、ファンの方も今なら不可能な? “超密状態”だ。広報部も人数を増やし、担当選手を決めてやり始めた時期だった。僕は中堅、ベテラン選手の担当をすることが多く、キャンプ中の新人・上原の取材にはほとんど立ち会えなかった。

 僕ら広報の仕事は、読者の皆さんが想像する以上に多岐にわたる。シーズン中であれば、試合前のメディア対応、試合中はホームランを打った選手などのコメントを取ってメディアに流したり、勝利のあと、中継局のリクエストを受け、ヒーローインタビューの選手を準備させることなどがある。

 いつも忘れないようにしていたのは・・・

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ジャイアンツ一筋41年。元巨人軍広報による回想録!

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